堺市職労(堺市職員労働組合)ブログ

堺市職労(堺市職員労働組合)ブログです。

ワンコインの名作 第4回

智恵子抄高村光太郎(8月19日付)

「そんなにもあなたはレモンを待ってゐた かなしく白くあかるい死の床で」

 高村光太郎は、終戦疎開先の花巻でむかえた。それから約七年にわたって、彼は東北の厳しい自然の中で農耕自炊の生活を送る。戦争協力詩をつくったことへの内省のためである。愛妻智恵子は、すでに一九三八年に世を去っていたが、彼女はなお自分の内に生きているという実感がこの間の彼を支え続けた。

 『智恵子抄』は、高村光太郎による智恵子に対する愛の詩集である。智恵子との出会いによって退廃生活から救われたことへの感謝、世間の無理解と貧困の中の共同生活、智恵子の統合失調症発病、死後も変わらぬ妻への愛情などがうたいあげられている。

 『智恵子抄』を刊行したとき、高村光太郎は五十八歳だった。この詩集には、詩人が四十代から五十代にかけて制作した詩が多く収録されているが、その感性は実に若々しい。しかし、あたかも片想いの女性に捧げるような一方向的な愛とも感じられ、とりわけ智恵子が発病してからの詩では、光太郎の中の智恵子は、いわば偶像化されていく。

 冒頭の一節は、智恵子の臨終の様子をうたった「レモン哀歌」の書き出しである。光太郎が差し出したレモンを智恵子が噛む。レモンの汁が彼女の意識を正常にする。そして「智恵子はもとの智恵子となり生涯の愛を一瞬にかたむけた」。このような一途な相手への愛情と相手も自分を愛しているという信頼がこの詩集の大きな魅力となっている。

 高村光太郎は、智恵子をモデルにしたブロンズ像制作のため、一九五二年に東京に帰る。そして作品を完成させた後、持病の結核が悪化し、一九五六年に七十三歳で死んだ。その彫刻は「乙女の像」として十和田湖畔にたっている。

(『智恵子抄新潮文庫、四三〇円+税(他に角川文庫で紙・電子版あり))