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ワンコインの名作 内田百閒「阿房列車」

12月2日付

「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」  
 今年は日本に鉄道が開業して百五十年。鉄道ファンにもいろいろあるが、元祖「乗り鉄」といえば内田百閒であろう。
 百閒は、戦後復興期の一九五〇年から五五年(昭和二十五年から三十年)にかけて紀行文「阿房列車」シリーズを執筆した。引用は、その第一作「特別阿房列車」の冒頭部分で、「乗り鉄」の気分を端的にあらわしている。当時、東京・大阪間の所要時間は八時間。東海道本線の全線電化はまだで、浜松(後に名古屋)で電気機関車から蒸気機関車への付け替えが行われていた。
 百閒は汽車好きで、時刻表好きで、そして大の酒好き。紀行文ながら、名所旧跡を巡ることはしない。綴られるのは、何時何分発のどの列車に乗るかの克明な記録、同行の「ヒマラヤ山系」(あだ名)との噛み合わない会話、自身の思い出話、それに酒席の話である。旅先でちょっとどこかへ立ち寄ってもたいてい満足しない(これについて、天王寺動物園に関する興味深い記述がある。「松江阿房列車」参照)。
 それでいて、車窓から見た風景描写が見事で、その観察眼に驚かされる。
こんな調子で「阿房列車」は、大阪のほか、東北、新潟、千葉、山陰、四国、九州などを鉄道旅行する。何をするでもなく、宿泊し、酒を飲み、そして東京に帰る。その移動距離は、合計二万五千八百キロにも及ぶということである。
 内田百閒は一九七一年に満八十一歳で没した。存命中に東海道新幹線が開業し、東京・大阪間はずっと早くなったが、彼が新幹線に乗車することはなかった。リニアが開業するとそれが一時間にまで短縮されると知ると泉下の百閒は何と言うだろうか。
 (『阿房列車』(第一~第三)新潮文庫