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原水爆禁止世界大会・広島に参加して

今尚消えぬ、ヒロシマの深い傷跡にふれて〔下〕

H課 ・ Kさん

(8月19日付)

 吉岡幸雄広島被爆者団体連絡会議事務局長からの被爆体験のお話では、衝撃の告白がありました。

 「当時は中2でしたが、授業が全くなく、軍事拠点の資料整理と疎開した家などの取り壊しなど、毎日軍用作業ばかり。クラスを半分に分け、一日交替で作業することになりました。級長だった私と、副級長がじゃんけんし、私は勝ちました。私たちは先発隊として広島市内で早朝から夕方まで作業を行い、翌日私たち先発隊は休み、副級長とその仲間が作業を行う予定でした。私たちが作業を行ったのは8月5日…」「私の思いは今まで誰にも語りませんでした。私が勝ったせいで23人の友人を殺してしまったのです。この思いは毎日忘れたことはありません。ずっと今まで一人背負って来ました」

 被爆70年、あまりにも深い傷を受けたことが忘れ去られようとしています。私は胸が熱く痛くなり、伝えていくことが今を生きる人の使命だと心に刻み、この分科会を終えました。

 旧広島物産陳列館は今年で建設百周年を迎えます。風化したレンガ、ガラスのない窓。30周年をその年の5月に迎え、その3ヶ月後のあの日から、このような姿になりました。今の原爆ドームです。多くの人が8・6をこの地でむかえ、平和への祈念をするため、訪れています。

 10年前の60周年にも広島を訪れました。

 平和祈念公園を歩くと、ガイドブックを手に公園を歩き、資料館へと足を運ぶ多くの外国人観光客を目にしました。10年前と比較して、(確かに猛暑ではありますが)被爆体験を語る人々が少なくなっていると感じました。

 ボランティア団体の方でなく、実体験として話す方々を公園内で見ることがほぼできませんでした。今年の調査で、初めて被爆生存者の平均年齢が80歳を超えました。時代があの日の記憶を消し去ろうとしています。   今回の原水爆禁止世界大会広島は、多くの参加者が集まりました。年配の方が多く感じられましたが、家族連れや小さな子ども連れも多数見かけ、「出来る限りのことを次の世代に伝えたい」という参加者の強い意志がうかがえました。

集団的自衛権の行使を目的とする安全保障関連法案が現在国会で議論されています。焼け跡の灰の中から何を学び、伝えようとしているのか。生きている私たちには、その使命があると改めて感じ、考えさせられました。