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原水爆禁止世界大会に参加して

Kさん(8月23日・24日付)

 8月4~6日の3日間、原水爆禁止2018世界大会が広島県立総合体育館で開催されました。今回でもう幾度かの大会参加になりましたが、いつもと違い小学生になった息子を連れての参加を致しました。

 夏休みという長い期間で息子に旅気分をという思いもありましたが、今回参加の一番の理由はある日の息子の一言から始まりました。「父ちゃん、戦争って何?爆弾って何?」学童保育の図書の中で覚えたのでしょう。私の小学校の担任が広島出身で授業を止めてまでも戦争の話を聞かされました。偶然にもその時の自分と同じ年に息子から発せられた言葉に胸が詰まり、妻に娘を預け今回の旅に出た次第です。

 全国から約五千人強の仲間が集まる開会総会に大阪からは351人参加があり、その中で今回初参加というメンバーが約半数、平均年齢44・4歳という構成でした。平均年齢からも高齢の方の参加だけでなく、親子連れや社会人になりたての若い人も多く見受けられました。

 今回の参加に先立ち、大阪原水協堺代表団に配布された資料にビキニ環礁水爆実験が掲載されていました。実験に用いられた水爆は広島型原爆の1000倍近くの威力を持つといわれ、ビキニ水爆のキノコ雲は約120キロまで達していることが記録されています。

 ビキニ水爆の際被爆した静岡の漁船第五福竜丸は約160キロ離れていましたが、死の灰を含め致死量の放射能を浴びています。この距離は大阪の中心部を爆心地と仮定して、米原や白浜まで届くキノコ雲が発生、神戸くらいまでは物質が熱風による蒸発、琵琶湖に及ぶまでの生命体が大火傷という距離を表していました。

  「百聞は一見に如かず」という言葉のとおりに、まずは息子を爆心地である島医院前に連れて行きました。原爆ドームから歩いて数分の場所にあり、爆心地であることや当時の写真などが病院前に記されており、多くの外国人が説明を見入っていました。その中で丁寧に息子に説明し「ちょっと難しいかな?」とは思いましたが、当時の写真に興味を示し「こわいなあ。」とつぶやいたのが印象的でした。

 広島平和記念資料館に足を運びました。来年完成をめどに現在耐震工事が行われており、一部の資料しか見ることができなく残念ではありましたが、怖がりの息子にはちょうどいいくらいの見学でした。その中には火事で焼けた服や溶けたガラス瓶など衝撃を受けるものが幾つもありましたが、焼け溶けた三輪車を見たときは親子共々言葉をなくしてしまいました。

 被爆者の平均年齢が82歳となりました。数年前は平和公園で多くの語り部が広島の地を訪れる方に体験を伝えていましたが、この暑さに加え高齢であることも合わさり、多くの語り部被爆体験を持たない人が多くみられました。しかし最近内外問わずいろんな当時の情報が流れるようになりました。このことの背景には高齢であるがゆえに「もう時間が残されていない」という余命との戦いがあります。決して風化させてはいけない。残酷すぎる現実であるが、ありのままを伝えることが平和への祈りであり、被爆者から次世代への願いです。ご存命の間に核兵器廃絶は叶わないかもしれない現実を受け入れなければなりません。この現実はとても残念ではありますが、戦争を知らない私たち世代が「平和」を手にするために声を上げなければなりません。

 大阪原水協から予定されたスケジュールの合間に、スタジアムツアーや市民プールなどのレクリエーション部分も取り入れた親子独自のメニューを組み、残念ながら今回予約できたホテルは市内中心から路面電車に約一時間揺られる遠いホテルでの宿泊で大変ハードではありましたが、息子も「ちょっと賢くなった気がする。」と帰りの電車で感想を述べた時には、自分自身に達成感が生まれました。