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原水爆禁止世界大会・広島に参加して

原水爆禁止世界大会・広島に参加して(上)

H課 ・ Kさん

(8月18日付)

 8月5日にエソール広島にて開催された原水爆禁止世界大会の分科会「映像のひろば」に参加しました。全国からいろんな年齢層の180名が集まり、スクリーンに映し出される、当時のアメリ戦略爆撃調査団の報告とそれに携わった人々のドキュメンタリー、そして被爆体験者である吉岡幸雄広島被爆者団体連絡会議事務局長から話を聞きました。

 米軍が保管する膨大な資料は公文書として取り扱われ、用途を明記すれば映像でも公開されます。ドキュメンタリーはその資料を基に原爆投下後1~4か月間を映したものです。

 衝撃を受けたのは、大きな傷ややけど等の外傷を受けた犠牲者の姿です。病床に伏している患者の状態をくまなく映像として残していますが、GHQの統制下であったため誰一人として拒めなかったそうです。そこに映し出されるすべての人は「寝間着」でなく「正装」でした。米軍の調査に、大きな傷を受けながら正装をして毅然と映像で残される被爆者の表情は「人間として最大の屈辱」を受けていることを表わすに十分でした。

 東京や大阪など多くの空襲を受けた都市、沖縄戦の状況からも、敗戦は確実でしたが、米軍は、軍都である広島・小倉・長崎・新潟を空襲しませんでした。その理由は、軍事拠点であったこと、そこに隣接する地域に人々が密集して生活を送っていることを調査し尽くしていたからです。つまり、広島・長崎の被爆者についてアメリカの科学者が研究室で言った一言が実現されたのです。「この戦争で私達は原子爆弾を作り、モルモットを使わずしてリアルな調査を得ることができた」と。

 人間の尊厳を全く感じさせないアメリカの対応は、自分たちの調査を行うのみで、治療を行わなかったことに端的に表れています。

 広島赤十字病院のレントゲン写真が真っ黒に感光していたことから、原爆投下5か月後に「原子爆弾には放射能の危険を含んでいる」との発表に至ったと報告されました。