堺市職労(堺市職員労働組合)ブログ

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岩手・大槌の風 第17・18・19風

津波を襲った街のための道路事業(6月25・27・28日付)

「新設道路を造る」。 建設局道路部に所属する方々はもちろん、私のような水道工事を担当する人間でもこの事業に少しでも関わればいかに大変かということは思い知らされます。土地の所有者からの買収、家の立ち退き、交差点の改良、車の通行を切り替え、水道・下水道・ガスの移設‥等膨大な工程を踏まなければなりません。ほんの1㎞、2㎞という距離でも何十年もの時間、数百億円という大金がかかることがある途方もない事業という認識が堺市ではありました。

 ところが被災地、東北沿岸部では全くスケールとスピードが違う事業、「三陸復興道路事業」が進められています。この事業は宮城県北東部から岩手県沿岸部を通過し、青森県南東部まで約300㎞もの高速道路を、震災後から平成32年度までのわずか10年足らずで築造するという前代未聞のハイペース計画です。

私が派遣された大槌町でも立体交差構造のインターチェンジ(IC)が計画され、今年度開通予定。昨年4月、大槌に赴任した時点で予定地は山裾で全く掘削されておらず、迂回予定道路が築造される土地にも工場が稼働中、私の所管する水道管も既存道路のまま埋設されており、移設依頼も全くありませんでした。内心「こんな状況で来年度に開通する訳がない。どうせ延期されるだろう」と思っていました。

 しかし被災地で堺市の常識は全く通用しません。山を掘削する工事が始まったかと思うと見る見るうちに大きく削られ、私の元には次から次へと水道管の移設依頼工事が持ち込まれ、稼働していた工場も突然閉鎖となり取り壊し工事が始まりました。

大阪にいると、「道」が変わるということはなかなかありません。その道から見える風景はせいぜい「あそこにあった店が変わった」程度。本格的に新しい路線ができるのは10年単位で調整が必要です。

 一方、被災地では1ヶ月単位でどこかしら道が変わっていきます。先月最短ルートで行けたはずなのに、今月は大回りルート、来月には新設ルートに切り替わるということは当たり前。もちろん、それに合わせて私が担当する水道管や、下水、電気、NTTといったインフラを移設する必要や、その対応を求められるというのもしばしばあり膨大な復興事業の1つでもあります。

 その中でも最も強力に推進されているのが「三陸復興道路事業」です。小学生の社会科で勉強する程有名な日本一長い「リアス式海岸」沿線は起伏が激しく、その道は日本中から重機を集め、長大なトンネルを掘り、谷間に高架橋を築造し、山を次々と切り開かなければ完成させることはできません。約300㎞の無料高速道路という採算度外視の大事業がなぜここまで重視されるのか?

 この事業は大きな2つの目的のために施工されています。1つは津波被災時に沿岸各地へのアクセスを確保するという、被災後を想定した対策として。もう1つは、被災そのものを起こさないための街づくりに欠かせない重要な物を供給するためです。それは…。

これは体感していただかなければピンと来ない話ですが、敢えて書きます。

 大槌町の、かつては中心街として賑わった町方地区は数百という区画が平坦な土地に整理されています。震災を知らずにここに来れば「規模の大きな住宅地だな」くらいの感覚になる区画のほぼ真ん中に周りから2m位地面の低い、小さな公園があります。実は「かつては地面がこの高さだった」ことを示す、この区画整理地のために膨大な量の土砂が運ばれたことを示す場所なのです。

 東日本大震災の被災各地で津波に強い町づくりのために採用された手法のうち代表的な2つが、土地の嵩上げと防潮堤の築造です。その巨大さで有名な宮古市田老地区と同等の高さ14m級防潮堤が沿岸各地で築造されることになりました。しかし「津波が襲ってくる際に海が見えなくなる」等の意見もあり、防潮堤の高さをほぼそのまま、土地を嵩上げする方式も並行しています。

 しかし双方とも「膨大な土砂」が必要となります。震災後道路もズタズタに寸断され、土木作業員の仮設住居の確保も難しい土地で、どのように土砂を確保し、どのように運搬するのか?

 そこで持ち上がったのが三陸復興道路構想です。その工事によって発生した大量の土砂が沿岸部で嵩上げ、防潮堤に使用され、作業ヤードや部分開通した区間はそのまま運搬経路として利用される他、震災前であっても峠道や未整備が多かった地域の道路事情が劇的に改善しつつあります。

 皆さん、今年の夏は三陸復興道路を利用して、被災地の現状と三陸大自然を体感してみませんか?