堺市職労(堺市職員労働組合)ブログ

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岩手・大槌の風 第25・26風

最後の報告(3月22日・27日付)

 3月11日、三陸地方ではそれまで渇水で水道事業所の水源も干上がりそうだったのが凄まじい大雨に見舞われました。私の職場近くでも道路側溝から水が溢れ、道路を管理する部署に連絡が入ったそうです。

「この程度の水で役場に連絡が入るなんて、やっぱり8年経ったんだな。」私の職場のある人がそう呟きました。そう、その方はもちろん体験しています。当時発生した10メートル超の巨大津波、街並みが全て破壊されてしまった瞬間を。

 しかし、もはやそれを物語る遺構はほとんど残されていません。保存か解体かで熱い議論が行われた大槌町旧役場庁舎も解体され、今は更地が残るのみ。他の建物もほぼ解体・撤去され、綺麗に区画整理・嵩上げされた土地には再建住宅、復興公営住宅の建設が進んでいます。午後2時46分、黙祷を呼びかけるサイレンが今年も響き渡りましたが昨年とは大きく町は変わりつつあります。

 9日には安倍首相が復興状況を確認するために岩手県を訪れました。同日は沿岸部と内陸部を結ぶ花巻釜石自動車道全面開通の記念式典があり、首相はそれに出席。また今秋に開催されるラグビーワールドカップ釜石市会場、大船渡市や陸前高田市に新設された商業施設を巡り、こう語りました。「正に被災地の皆さんの努力によって復興が着実に進んでいる。その姿を、この目で確かめることができました。今後、政治の責任とリーダーシップの下で、政府一丸となって対応していく。」

 インフラは劇的に復興し、もはや震災前よりも利便性が向上したと言っても過言ではない状況です。私の任期もあとわずかとなり、最も心配なのは‥。

今後、職場としての大槌町役場はどうなるのか。

 復興事業のピーク時、大槌町役場の人員構成は6割が派遣・任期付等の応援職員でプロパーは4割だけ。しかも内半数は震災後に採用された職員と、町プロパーとして蓄積がほとんどない人員で大部分を占めていました。

 しかも「復興事業は派遣・任期付に、通常業務はプロパーに」という当初の思惑があったものの、責任の重さから必ずしもそういう構図にはならず、収束の形はまだ流動的です。

 また、ほとんどの方は復興に対し高いモチベーションで仕事をされていますが、派遣・任期付におんぶに抱っこで仕事をしてきた人、復興事業に疲れ果てた人、急激な変化に不安を覚える人等、一般的な自治体とは違う意味で精神的に大きな節目を迎える時期にあります。

 水道技術の責任者だった私の後任者にも事務職の方に内示が出ました。人事のやり繰りも相当な厳しさが伺えますが、私を含めた多くの職員が被災地を離れなければなりません。

 約半年前、西日本豪雨で被災した自治体派遣者は既に帰任しており、むしろ今後は東日本の被災自治体が支援を求められる立場として派遣する側になる可能性もあります。日本中、どの自治体もいつ派遣する・される立場になるかはわかりません。

 堺市職員となり17年間、平常時の下で仕事ができる環境に何の疑問も持ちませんでしたが、いざ被災地に来て初めて知る、被災地でしか得られない体験を多くさせていただきました。

 最後となりますが、私の派遣を支え、送り出していただいた全ての方に御礼を申し上げて報告を終わらせていただきます。ありがとうございました。(完)