堺市職労(堺市職員労働組合)ブログ

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岩手・大槌の風 2つの変わった景色

番外編

 東日本大震災の被災地である岩手県大槌町派遣から2年の任期を終え、帰阪して約3か月経過しました。大阪に戻った当初は気温の変化から暑くて堪りませんでしたが、3~4kg体重を落として何とか乗り切っています。

 堺市上下水道局から大槌町には私を含め、7年度で10人程の職員が派遣されていましたが、先日「堺と大槌の連帯の証拠に記念品を贈呈してはどうか」ということになり、その10人で6月下旬に大槌を訪問し、贈呈することになりました。

 諸事情から飛行機の経由先が岩手県でなく、お隣・宮城県仙台空港となりました。大阪府民からすれば「兵庫県神戸空港から堺市くらい?」と思うかもしれませんが、やはりスケールが違います。同空港から大槌町までは約240km。愛知県のセントレア空港から堺市くらいの距離と思って下さい。そこからレンタカー移動となりました。

 その240㎞は震災で最も被害の大きかった地域であり、既述のとおり「三陸復興道路」の大部分が開通しています。震災前まで予算がつかず棚上げになっていましたが、震災直後からハイペースで次々と開通。かつてリアス式海岸沿いの峠道が連続する難所から快適な道路が連結され、私たちの訪問を待っていてくれたかのように来岩2日前に大槌町の南側区間も開通。私が離れる際、工事中だった町内の橋や道路もこの3か月で次々に完成し、胸に込み上げるものがありましたが、よく見ると別の意味で町の変化に気付きました。それは‥(つづく)

 昨年まで、往来が激しく青矢印が出るまで右折できない程だった国道に、ほとんど車が見られません。我々の来岩3日前に開通した橋を1分程眺めていましたが車1台渡りません。スーパーの駐車場も以前は停める場所を探す位だったのがガラガラです。

 なぜか。「復興事業が落ち着いた」からです。

 大槌町には私も含め、役場への派遣・任期付職員、復興事業の受注母体企業の社員、下請作業員など多くの人間が一時的に住んでいました。町のホテル・民宿に泊まったり、急遽建てられたアパート・仮設宿舎に住んだりという人達が多く、スーパーや飲食店も常にそういう人たちで売り上げが保たれてきました。しかし昨年度末で復興事業も沈静化。町水道事業所の水道料金収入で上位を占めてきた仮設宿舎・事業所も使用量が大きく減りました。ちなみに私が町を離れたわずか1週間後、1年間共に働いた任期付職員が「大槌町でもう働く気がしない」と辞表を提出し、翌月退職したそうです。

 復興事業がある意味「劇薬」として町に対して短期的に仕事とお金を落としてきましたが、もはやその時期は終わろうとしています。インフラ自体はむしろ震災前より便利になった一方で常住人口は激減。被災地では大船渡市や南三陸町など観光施設が賑わっている所もありますが、ごく一部に留まっています。

 2年間、復興事業に関わらせていただいた身として、「本当の復興とは何なのか」と自分に問いかけるとともに、改めて被災地への思いを強くする貴重な体験でした。(おわり)