堺市職労(堺市職員労働組合)ブログ

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寄稿:東日本大震災から十年経過

依然厳しい人員 今後も負担(3月5日付)

 東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の発生から11日で10年となります。本市からも多くの職員が被災地に派遣されましたが、そのうちの一人からの寄稿文を掲載します。

 

2017、18年度の2年間、大震災で役場職員の4分の1、町民の12分の1が犠牲となった岩手県大槌町に派遣され、コラム「大槌の風」を何度か投稿させていただきました。私が着任した時点で発災から6年経過していましたが、町内には未だ仮設住宅に住む方が多く、防潮堤、地盤嵩上げ、復興道路、公営住宅建設もまるで形になっていませんでした。
 それがわずか2年間で次々に完成し、離任する際には9割近くが完成を迎えました。19年は岩手県沿岸部を訪れる観光客が劇的に増加。ガイドブックに載らない密かな景勝地をグーグルマップ等に投稿していた自身としても復興が進んでいるのかな、と少し嬉しくなりました。
 しかし役場の人員体勢は依然として厳しい状況です。復興事業は全国各地の地方自治体や各大都市圏の大手土建業者から多くの技術者が派遣され、集中的に復興事業が行われました。計画、実施、監督等要員の大部分が被災地外から来た職員で行われ、大槌町役場はごく少数のプロパー職員が平常業務に加えてその受入れ等を担当し、とりわけ技術者を育成できる状況ではなかったのです。現在も仮設庁舎で執務し、新庁舎建設は目途も立っていません。「復興推進課」という部署が継続し、私が所属していた当該班は職員6人中4人が派遣または任期付職員で、将来的な安定からは程遠い体制。維持管理のノウハウも十分なプロパー技術者もいないまま膨大な施設が引き継がれ、今後大きな負担となることが予想されます。
 一方、話を自身に向けますと、堺市に帰任して約2年間、ふとした時に被災地と堺市での勤務を比べたら、仕事量は圧倒的に被災地が多く、肉体的にしんどかったはずなのに精神的には充実感を得られていたことに気付きました。なぜか。それは「住民の役に立っている」と日々実感する機会の差です。「これを終えたら仮設住宅を出られる人がいる」、「これで住民が津波を恐れることなく安心して暮らせる」。町で仕事をしていても「遠い所まで来てくれてありがとう」と感謝の言葉をいただくことも多く、自身の担当業務によって住民に喜んでいただけるシーンが多くありましたが、帰任後は滅多にそういうことを感じられないからです。ただそれは堺市が平穏な状況にある、大槌町が本来あってはならない状況であった裏返しでもあります。
 「もし西日本が被災したら今度は我々が駆け付けます」。私が離任する際、そう言葉をいただきました。その力強さに復興がより一層進むことを祈念し、平穏な状況での業務でも住民の幸せに役立っていることを見つめ直す10年の節目としたいと思います。