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ワンコインの名作 「二十四の瞳」

壷井栄) 7月26日付

 

「不安を語りあうさえゆるされぬ軍国の妻や母たち、じぶんだけではないということで、人間の生活はこわされてもよいというのだろうか。じぶんだけではないことで、発言権を投げすてさせられているたくさんの人たちが、もしも声をそろえたら」

 小説『二十四の瞳』の舞台は、作者の故郷・小豆島がモデルである。実際、小豆島の観光地図を一瞥すると、主人公・大石先生の暮らす「大きな一本松のある村」と彼女が赴任した小学校「岬の分教場」の位置関係が把握できる。入江を挟めば近そうに見えるが、陸路では八キロになるその道のりを、一年生の十二人の子どもたちが、心細さをこらえて、けがをした大石先生の見舞いに行く。もっとも印象的な場面だ。
 そんな「瀬戸内海べりの一寒村」も時代の激流に飲み込まれていく。
 この小説は、昭和三年から終戦直後までを時間軸に、大石先生と十二人の子どもたちとの交流を断続的につづったものだ。子どもたちの成長の背後には十五年戦争があり、時とともに、男の子は徴兵され、女の子は貧困に押しつぶされていく。そして、大石先生も、近隣の学校の先生が特高に逮捕されたり、何も知らない子どもたちを戦争に投げ込むような教育に嫌気がさしたりして教職を辞してしまう。やがて太平洋戦争がはじまり、国民が不安をおぼえる中、大石先生は、出征した教え子らを思い、冒頭に挙げた述懐をする。
 戦後、大石先生は、生活のため、臨時教師として岬の分教場に再赴任する。以前は家から学校まで颯爽と自転車で通っていたが、今度は、息子が漕ぐ小舟に乗っての往復である。彼女も戦争で夫や娘を失っていた。物語は、教え子たちが開く大石先生の歓迎会で結末となる。かつての十二人の子どもたちは七人になっていた。先生の頬に涙の筋が走る。その涙が代弁するものは何か、様々に思いを巡らすことができる。

(『二十四の瞳新潮文庫、角川文庫、岩波文庫