堺市職労(堺市職員労働組合)ブログ

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岩手・大槌の風 第13風・第14風

3月12日・13日付

3月11日で東日本大震災から7年が経過した大槌町。大阪では既に春の陽ざしを感じられる時期ですが、こちらではまだ最低気温が零下10度に迫る日もあり、被災直後に暖房が不十分な状況で避難生活を強いられた方々の苦難が想像されます。

 さて、大槌町では町全体で「復興に向かう」という思いこそ共有しているものの、「どういう方向性で復興に向かうか」という点においては未だに定まっていない議論があり、その一つが「旧役場庁舎を保存するか解体するか」です。

 7年が経過し、大槌町内で当時の津波を受けながら修理も解体もされていない建物は同庁舎、東京大学海洋研究所など数える程で、町中心部に近い建物としては同庁舎のみという状況です。鉄筋コンクリート造の壁には無数の穴があり、30人以上の職員が犠牲になった津波の凄まじさを目の当たりにすることができます。

 後世に津波被害の悲惨さを語り継ぐために同庁舎を保存すべきではないか?それとも他の大多数の建物同様解体するべきか?実は前回、平成27年に行われた町長選挙でも争点の一つとして取り上げられました。

 ここで直近2回の大槌町長選挙を振り返ります。既述のとおり23年震災当時の町長は震災の犠牲になりました。同年の町長選は予定された4月から日延べされた8月に行われ、震災直前まで大槌町総務課長で、事前から立候補のために退職していた碇川(いかりがわ)氏が当選。被災5年目を迎える27年の町長選でも2期目を目指す現職と新人2人が立候補しました。驚くことにその新人2人のうち1人が…。

平成27年大槌町長選挙は3人が立候補したものの、事実上2人の一騎打ちの構図となりました。1人は元大槌町総務課長で2期目を目指す現職の碇川氏。もう1人は長年碇川氏の部下として町政に携わり、選挙前に町職員を退職した、やはり元総務課長の平野氏でした。堺市のような大きな自治体では主要政党毎に立候補者を掲げるのが通例で、「上司である首長の対抗馬として総務課長経験者が町職員を退職」という事態が2期続くというのは私から見れば異様と言わざるを得ません。またこの状況が「町全体で復興に取り組むべきなのに役場内で同一の方向に向かっていない」という印象を周囲に持たれたことは否めません。

 当然のことながら碇川氏は当初から掲げた自身の復興方針の継続を、平野氏は碇川氏の方針転換、とりわけ規模の見直しを掲げました。また既に旧大槌小学校に機能移転していた旧役場庁舎について碇川氏は保存を、平野氏は解体を公約としました。投票率約78%と町民の高い関心のもと行われた選挙は平野氏が当選。保存・解体議論も一定の方向性が出たかのように思われました。

 ところが来年度予算を議決する町3月議会において、平野町長が旧庁舎解体を計上した予算案提出を予定していることがテレビ・新聞で報道されると、これまでほとんど訪れる人がいなかった旧庁舎に度々人が集まるようになり、先月には旧役場庁舎の保存を目指す町民らが市民団体「おおづちの未来と命を考える会」を結成。これも広く報道され、保存解体議論が再燃しそうな勢いです。