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岩手・大槌の風 第22・23・24風

1月28日・30日・2月1日付

大槌町役場庁舎解体問題

 大変ご無沙汰しておりました「大槌の風」。今回は全国ニュースにも取り上げられた旧町役場庁舎解体問題について触れたいと思います。

 東日本大震災時に発生した津波によって広大な面積、数多の建築物が被災したものの、7年以上が経過した今ではそれらの建物のほとんどが解体されました。残りわずかとなった「震災遺構」はそれぞれの自治体、住民の判断で解体か保存かが議論されてきましたが、その中でつい最近まで結論が出ていなかったのが当時町役場として使用されていた旧大槌町役場庁舎です。

3年半前の町長・町議会議員選挙においても旧庁舎問題は町を二分する熱い議論となりましたが、解体を訴えた新人が保存を訴えた現職(当時)を破り当選。しかし議員は解体・保存・意思保留派に別れる結果に。その後、住民アンケートによると解体を望む声が多数派という結果が出ました。

その結果を受け、平成30年3月議会で現町長は解体工事費を計上した同年度予算案を提出しようとしますが、議会の意見が割れて決議に難色が示されました。しかし予算執行全てを停滞させる訳にいかないと、町長は異例の手段を選択。それは解体を除いた予算案をまず採決し、その直後まだ前年度にも関わらず「補正予算」として解体工事費を採決するというもの。結果、当初賛否同数だったのが議長採決に持ち込まれての可決、というこれまでの経過同様もつれたものの、一定の結論が出ました。やっとスムーズに解体されると思われたのですが‥

30年度に入り、旧大槌町役場解体工事は入札が行われ、町内業者が落札。前年度こそ揉めたものの、これで順調に進むだろうと思っていましたが、すんなりとはいきません。その後、いざ着工という直前から次々に手続きミスが発覚しました。

まず「建設リサイクル法に基づく書類未提出」です。工事部門の方ならご存知のとおり、500万円以上の工事で産業廃棄物が発生する場合、政令市や都道府県に事前提出が必要ですが、震災後ほぼCMR事業に頼っていた大槌町では独自発注でその意識が薄く、脱漏していたのです。その書類を提出し、今度こそ解体開始と思いきや今度は「アスベスト調査の必要」が発覚。しかも資格が必要な調査ですが、落札業者が無資格なため、他業者との契約となりました。町は入札案件となる基準金額を大きく超える案件にも関わらず、契約理由を非公開のまま町から約100km離れた会社と調査業務を随意契約。テレビや新聞に理由非公開を批判され、公開した理由は「早期着手を必要とする」というものでした。

アスベスト調査やその分析結果が出るまで工事が中断される中、8月には住民団体が町長に旧庁舎解体を差し止めるよう訴状を裁判所に提出。ここで改めて「町は震災を十分検証したのか」が問われました。その時の町側の主な主張は「旧庁舎を見たくないという意見に寄り添うもの」でしたが、最も注目された答弁は「役場職員から被災時について聞き取り調査はしていない」というもの。一般的には「そんなこともしていないの?」という感覚になりそうですが‥

「震災時のこと、思い出して教えて下さい。」

一見、簡単に聞けそうに思えますよね?私、大槌町に派遣されて1年10ヶ月経ちます。皆さんよくしてくれますし、仕事もプライベートも色んなことを話し合える仲になった人は何人もいますが、この台詞は出せません。既報のとおり、現町長は旧庁舎屋上で被災し、その体験を広く語っていますが、大多数はまずその経験を語ることはありません。

「思い出したくもない」からです。

大槌町役場庁舎は、大規模な盛土工事が行われた地区と既存地盤の境目近くにある2階建てで、今や2階フロアと盛土地盤がほぼ同じ高さにあり、より低く感じられます。8年前、津波は屋上直下にまで迫ったものの、旧庁舎の階段は2階までで終わり。そこから屋上にはタラップで上がるしかなく、一人一人順番待ちだったと思われます(聞けてないので私の想像です)。結果、屋上に上がった現町長を含む23人が助かり、当時の町長と39人の職員が犠牲になるという壮絶な結果となりました。現在においても、助からなかった人の遺族が震災後町職員となり、助かった人と机を並べることもあります。

奇しくも阪神大震災の24年後となる1月17日、裁判所が原告の「町が十分な検証を行っていない」等の主張を退け請求を棄却。その2日後、様々な思いを持つ町民の前で遂に旧庁舎は解体が始まりました。