戎島町で稲むらの火(3月3日・10日付)
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先日の市職労70周年記念式典で、「花は咲く」を演奏いただきました。聴きながら、まもなく5年目を迎える東日本大震災のことを思い出していました。
2011年3月11日14時46分、僕は高層館18階の職場にいました。パソコンを見ていたら、ゆらゆらを感じ、「過労でめまいがする」ときょろきょろしたことを覚えています。
地震直後から、職場ではカンパが取り組まれ、先輩や若い方々が次々と東北各地に応援に行き、復旧・復興に力を尽くされました。
5年目を迎える今年、大阪では、「なくせ!原発 再稼働はんたい!3・5大阪大集会&パレード」が3月5日14時~中之島中央公会堂にて開催されますが、大震災によって引き起こされた福島第一原発事故は、最悪のレベル7として「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ」として長く語り継がれることとなりました。
今も、福島に関するさまざまなニュースを耳にします。最近でも、
▼国勢調査:大熊、双葉、富岡、浪江の4町で人口がゼロ、福島県の人口11万人(5・7%)減で200万人切る(15年12月)
▼森林除染:生活圏から離れた大部分の森林は対象外とする方針を国が表明(15年12月)
▼18歳以下の甲状腺がん罹患者が116人以上(通常の数十倍)に。県の検討委員会は、放射線の影響は「考えにくい」としつつ、「現段階で完全に否定できない」(16年2月)
▼東電元会長ら3人強制起訴:原発事故で検察審査会「起訴相当」議決をうけ(16年2月)
▼メルトダウン:東京電力が定義明記のマニュアルがあったが事故当時使用せずと公表(16年2月)、など衝撃的な内容が明らかになる一方、原発事故の責任の所在は、依然として見えないのが現状です。
他方、福島県農民連が市民に出資を募って合計10か所以上(2MW以上)の太陽光発電所を設置、電力の県内での自給をめざす会津電力が48か所に2・54MWの発電所稼働など、脱原発・自然エネルギー普及をめざす市民運動も大きく広がった5年でもありました。
東日本大震災では、大きな揺れ(マグニチュード9・0、深さ24km、最大震度7)と津波による大被害が発生。
避難所では、自治会組織がそのまま地域の避難所の運営組織に移行して、配給や情報伝達を担っている事例もあったようです。
堺市で想定される地震は、上町断層地震と南海トラフ巨大地震と言われています。その対応として、津波避難計画の策定、堺泉北臨海コンビナートの防災、建物や橋梁などの耐震化の推進などさまざまな取組みが行われています。僕の住んでいる泉北ニュータウン地域でも防災への意識が高まっています。
①地震時に開設される避難所が地域に知られているか?、②避難所が開設した時、誰がその運営にあたるのか、③避難生活にあたっての配給や情報伝達はどうするのか、④避難生活はどれくらい続くのか、⑤避難できない人はどうなるのか、⑥小中学校等の指定避難所にコンテナ型備蓄倉庫やマンホールトイレが設置されてたが使用方法は、など分かっていないことがたくさんあるが、地域で共助を広げるために、普段の自治会活動が円滑・活発に運営されることが大切やなと感じました。
その他、大震災に関する記事を調べると・・
東京都で約352万人、神奈川県で約67万人、千葉県で約52万人、埼玉県で約33万人、茨城県で南部を中心に約10万人、首都圏で合計515万人が当日自宅に帰れなかった(11年11月22日 インターネット調査推計 内閣府)
▼被災地の企業
帝国データバンクによる岩手、宮城、福島3県の津波被災地の約5千社の追跡調査。ことし2月時点で「休廃業」の企業が約1400社と、調査対象の28%に達した(河北新報)。
大震災が投げかけたのは、原発、防災、まちづくり、産業など社会そのものだったのだと物思いにふけっていると70周年記念式典会場がやけに静かなことに気づきました。見ると「花は咲く」の演奏が終わり、演奏者や参加者の方々が司会の僕を「どうすんの?」と見つめていたのでした。