堺市職労(堺市職員労働組合)ブログ

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おぎのみくす(1)(2)

家原寺町で浦島太郎

(12月21・22日付)

 5歳に発症後、幾度か入院した持病で、10月に、中学2年以来20年ぶりに入院しました。

 以前入院していたのは、宿院町西にあった病院。戦後すぐ昭和26年に建てられたであろう東棟1階小児科病棟は、フェニックス通りに面しているためか外壁が真っ黒にすすけており、廊下は配管むき出し、病室の床は木でした。当時の入院生活は、カーテンのない大部屋で、さまざまな病気や病状の小学生~高校生と過ごしていました。

 入院期間が数か月に及んだので、病院の調理場横の教室にあった、10人程の小中学生が複式学級で学ぶ病院内学級に転校しました。

 今回その経過もあり、家原寺町に新設された病院にお世話になりました(スタッフの皆様、ありがとうございました)が、歳月の経過によりさまざまな変化がありました。

 持病に必要な24時間の蓄尿のため、当時、氏名を書いた大きな瓶が棚に並べられて尿量測定等をしていましたが、今や「おしっこ測定器」に。プライバシーが確保され、かつ衛生的でした。

 また、電子カルテが導入され、スタッフは紙の分厚いカルテに代わり、ノートパソコンを台車に載せて患者を回っています。

 検温も、当時は水銀検温計を何度か割ってしまいましたが、今はもちろん電子式で、データが電子カルテに自動転送。エアシューターも整備され、手で運んでいた器具等も病院内を駆け巡っていました。

 ナースコールと携帯電話が連動し、それを片手にスタッフは、院内を走っていました。

 病院の役割も、緊急や重傷患者中心に、入院や手術等、高度で専門的な医療を24時間体制で提供する「急性期病院」で、「7対1看護体制」でした。

 投薬量や治療効果判定基準、病状安定後の薬の減量スケジュールが示され、これが「インフォームドコンセントか」と実感。僕の治療は、精密検査、結果判定、投薬開始により、入院17日目で「完全寛解」、26日目に退院。何が最適かつ効率的な医療か常に検証されているようでした。

 単純なもので、医療のことが気になるようになりました。医療保険から病院に支払われる「診療報酬」が2年ごとの改定に向け、論議が大詰めのようです。

 12月21日付けの本紙ニュースのように、安倍政権は、社会保障費自然増の大幅圧縮を考えているようです。

 医療分野では、病床を「高度急性期・急性期・回復期・慢性期」に機能分化し慢性期病床を在宅医療に切り替える(削減する)地域医療構想など、「病院から在宅医療へ」が進められているようですが、その上で今回の診療報酬改定では、「7対1看護病床を中心に削減」、「入院日数の短縮」等を進めるため、「大病院の診療報酬抑え込み」「早期退院に対する診療報酬引上げ」「紹介状なしの大病院受診に新たな負担増」を行う考えのようです。

 医療で急性期というのは14日間以内が目安とされているようです。

 確かに、同室の入院患者さんも、救急や病状が急速に悪化した方以外は、検査やがん治療による短期入院がほとんどで、僕はかなり長い方でした。しかし言い訳する訳ではないですが、「回復したが介護が必要に」「治療中だが予断を許さない」など、実態は14日間に一律に当てはらないなと思い直しました。

 医師会からも「患者の状態は刻々と変わる。現場の感覚と違う」「在院日数の短縮は限界。日本の医療をゆがめている」との批判もあるようです。

 かつて全国初の乳児と老人医療費無料化を行った岩手県沢内村の深澤村長は、県からの法違反との指摘に、「憲法違反にはなりませんよ。本来国民の生命を守るのは国の責任です。しかし国がやらないのなら私がやりましょう。国は後からついてきますよ」と述べたとされます。小泉内閣が、社会保障費を抑制し「医療崩壊」を招いた実態もあり、医療費削減を前提においてええのかと、そもそも論で立ちどまりました。

 入院中、退院が迫ったある日、小児科病棟入口を見に行きました。昔の殺風景な病棟と異なり、廊下に海のイラストが描かれ、配慮を感じました。病院内学級も設置され、今も病気と闘いながら学んでる子がおるんやときょろきょろしたのでした。