堺市職労(堺市職員労働組合)ブログ

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堺市職労70年の歴史に学ぶ学習会

団結で乗り越えた歴史学んだ

松永元委員長を講師に

(7月21日付)

 15日、元堺市職労執行委員長の松永健治氏を講師に迎え、「堺市職労70年の歴史に学ぶ学習会&交流会」が開催されました。

「ヒモの太さ(コネ)」で決まる給与

 1946年2月2日結成の堺市職労は来年70周年を迎えます。

 学習会は、戦後70年にわたって多くの先輩組合員が築いてこられた歴史を学び、これからの仕事や組合活動を考えようと企画され、若手役員・組合員らが参加しました。

 講師の松永氏は40年前の就職当時を振り返りながら、再開発課に配属され堺東駅前再開発などにかかわった青年時代に触れつつ、70年前に衛星都市で堺が最初に組合を結成し、地域でも教職員、福助、クボタなどで組合結成、焼け野原からの復興と、軍国主義体制の解体・民主化の流れのなかでの結成であった、と述べられました。

 しかし国民の不満を背景に準備された2・1ゼネスト(47年)がGHQの介入・弾圧で中止、公務員スト権はく奪など、労働運動が大きく後退。庁内では「さん・さま時代(課長さん、市長さま)」と呼ばれ、市の財政危機と職員の生活困窮の中で、「ヒモの太さ(コネ)」で給与が決まったり、管理職が勝手な査定をする中で「ゴマすり」が横行、貢物の多少で昇給が決まったりしました。

起ちあがる青年

 しかしその後、青年を中心に職場民主化・賃金闘争に転じ、衛星都市全体で60年安保闘争と結合した大賃金闘争に発展、大幅賃上げが続きます。

 これに対し62年当時の市当局は組合幹部を大量処分して大弾圧。これを機に日刊・堺市職労ニュースが創刊され、以降本庁入口での配付が半世紀以上経った現在も継続されています。

 当局の分断工作とたたかいながら、職場点検運動(未払い超勤の請求など)や、「公害をなくす会」など住民共同運動をすすめる中、堺市職労は「住民の繁栄なくして自治体労働者の幸せはない」をスローガンに掲げます。

 そして70年代、公害反対運動や革新自治体建設の前進などの情勢の下、春闘などの運動が前進。このうねりの中で「処分撤回」闘争に勝利し、組合と市当局は和解しました。

 また賃金要求や青年の要求も前進しました。

 80年代、地域との共同・連携も発展しますが、執拗な「行革」攻撃に苦心もします。

 しかし阪神淡路大震災(95年)、O157集団食中毒事件発生(96年)など90年代に起こった一大事の時は、労使共同で全力をあげました。

民共同で社会は動く

 そして、一昨年「大阪都」構想で「堺はひとつ」の一点共同運動、5月の「大阪市なくすな」の住民投票に連なる共同運動の経験を振り返り、「市民との共同でたたかえば社会は動く!面白い時代」と述べられました。

 最後に「わがまち・堺への夢・希望を大切に!」「未来は若者のもの。力を合わせて頑張ってほしい」とエールを送られました。

 参加者からは「衝撃的な事件が多く驚きました。危機的な状況を組合員の団結で乗り越えていったことを学びました。もっと詳しい話が聞きたいです」「今も時代は大変な流れの中にありますが、歴史に学びつつより良いものを引き継いでいきたいと思います」と感想が寄せられました。