堺市職労(堺市職員労働組合)ブログ

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堺市職員労働組合70周年を迎える

たたかい・運動の70年の歩み 新しい10年のはじまり

(2月2日付)

 本日、2月2日は堺市職員労働組合の70回目の「誕生日」です。歴史を振り返りながら、新しいたたかいの決意を固めるものです。

 堺市職員労働組合の前身である堺市役所職員組合は、1946年2月2日に旧庁舎正庁において結成大会を開催しました。

 当時、GHQ主導の急速な民主化と戦争で疲弊した財政を立て直すため国から自治体への人員整理の圧力がかかるもと、「吾等ハ自由ト平等ヲ基調トスル新日本ノ建設ヲ期ス」「吾等ハ一致團結シ以テ生活ノ維持改善ヲ期ス」ことを綱領で確認し、歩みはじめました。

 50年代、大阪衛都連に結集し賃金闘争での大きな前進があった一方、危機感を抱く国からの巻き返しがありました。

 堺市職労は、学習活動・自治研活動を強化し、「住民の繁栄なくして自治体労働者の幸福はない」という行動綱領案を掲げ、自分たちの労働条件の改善と地域のたたかいの前進を結ぶ方針が確立していきました。

 60年代の急速な成長・乱開発は堺地域にも押し寄せ、それによって引き起こされた公害問題や、不公正・乱脈な同和行政を正すたたかいなどを背景に、大阪の各地で革新市長が誕生した革新高揚期のなか、私たち堺市職労の運動も前進しました。

 これに対して80年代、政府与党の臨調行革路線での激しい賃金攻撃など、反動攻勢が強まりました。

 1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災では、労使の枠組みをこえて義援金募金が取り組まれ、職場から約1630万円ものカンパが寄せられました。また、文字通り身を挺して、香櫨園小学校を拠点に被災者の救援・まちの復興の活動に取り組みました。

 50周年を迎えた96年以降の10年は、バブル崩壊後の地方財政危機が叫ばれ、01年発足の小泉内閣による構造改革路線のもと、三位一体改革市町村合併、05年の給与構造改革など自治体リストラとのたたかいが中心となり、厳しい対応を余儀なくされた年月でした。

この10年 新自由主義路線による格差と貧困

 さらにこの10年は、アメリカ発金融不安(07年)、自民党から民主党への政権交代(09年)、橋下・大阪維新の会の結成(10年)、東日本大震災(11年)、第2次安倍内閣成立(12年)など「新自由主義路線による格差と貧困」への向き合い方が社会全体に問われています。

 労働者派遣法の規制緩和や非正規化で雇用のルールが壊され、労働者全体に賃金水準の低下が広がり、市職員の労働条件も影響を受けています。05年の美原町との合併・政令市への移行で、勤務労働条件の「国基準」の押しつけや、給与構造改革とのたたかいも迫られました。

 同時に、2年前の堺市長選挙では、「堺はひとつ」「堺のことは堺で決める」のスローガンのもと、自己責任を強要し住民サービスを切り捨てる維新政治を許さない新たな一点共同を生み出したことは大きな確信です。

 改めて私たち堺市職労は、どんな時も職場組合員の声を基礎に、地域のたたかう仲間や住民の生活向上の運動と手を結びながら、要求実現のたたかいを進めていきます。

強く大きな堺市職労をつくろう

 この1年間は70周年記念事業として、2月6日に記念式典を開催することを皮切りに、さまざまな行事を70周年記念として取り組む予定です。当面は、早春ゴルフ大会(3月5日)を70周年記念大会として、岸和田市職労とのコラボ企画とします【2月12日〆切】。

 勤務労働条件の向上、生活向上、交流企画などさまざまな取組みにより、組織強化拡大をすすめ、ご一緒に強く大きな堺市職労をつくりましょう。