堺市職労(堺市職員労働組合)ブログ

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海士町視察を振り返って④

さかい未来づくりサロン

(4月15日付)

T・M氏

 昨年11月28日~30日の三日間、堺市職員労働組合の皆さんにお世話になり、島根県隠岐海士町の視察を行いました。一昨年も同じ時期に海士町への視察を計画していましたが、渡航直前に風邪をひいてしまい、無念のキャンセルとなりました。今回、一年越しの願いが叶い、船から島に降り立った時にはほっとしたものです。

 海士町への渡航前に、自分なりに三つのテーマを持って視察を行うこととしました。

①「海士町の取り組みを学び、自治体職員としてのあり方を考える」 海士町は離島にも関わらず人口減少に一定の歯止めがかかり、若い世代を中心としたIターン者が多い自治体です。まずはそのような成果を上げた理由を学びたいと思いました。また「新しい公共」といった考え方など、新たなまちづくりに対する主体が登場している中で、これからの自治体職員はどうなっていくのだろう、という素朴な疑問もあり、そのヒントを海士町で得ようと思いました。

②「日本の社会のこれからのあり方を学ぶ」 人口減少や少子高齢化などの問題がある中、離島の海士町が持つ課題はこれからの日本の課題でもあります。これからの日本のあり方、人の暮らし方等はどうあるべきか、考えてみたいと思いました。

③「自分自身のこれからの生き方を考えるきっかけとする」 大学を卒業し、社会人となって五年が経過しましたが、30歳を目前に控えるにあたって、これまでの人生を一旦総括したときに、果たして社会の為に何かをすることができたかという疑問がありました。平日は職場と家を往復し、たまに仲間で飲みに行き、休日は遊ぶ。そんな生活の繰り返しでいいのかという漠然としたモヤモヤが心の中にありました。海士町には若くして活躍されている方が多くいます。そのような人たちと交流することで、何かきっかけを得たいと考えていました。

 現地では株式会社「巡の環」の阿部さん、石坂さんのお二人にお世話になり、カリキュラムに沿って海士町のことを学ぶというものでした。到着時の意気込み表明から島内巡り、地元住民さんとのまち歩き、町職員の方や島に来られた方との交流会などの企画が目白押しで、とても濃い時間を過ごすことが出来ました。カリキュラムには途中で振り返りの時間が20~30分程度設けられていたため、その都度自分の考えをまとめることができました。

 まずは海士町の職員である宮岡課長や吉元課長をお迎えし、行政としてどのような取り組みを行ってこられたかということを学びました。島の人口が減少し、財政も悪化、他の自治体との合併問題もある中で、島が無くなるかもしれない、という危機感があったといいます。結局合併は行わず、独自の道を歩み始めた海士町ですが、なんとかしなければならない、何でもやろう、という思いは常に持っていたとのこと。そして始めたことが、自分たちで大型バスを運転し、東京から大学生などの若者を海士町に連れてくる「AMAワゴン」という取り組みです。当時は行政内部でも年長者を中心に反対意見があったそうですが、「行政として事業が出来ないのであれば、自分たちだけで独自でやろうと思っていた」とお二人は仰っていました。私事になりますが、堺市役所の若手職員が中心となり活動している「さかい環づくり」というグループに参加し、堺を宣伝し、盛り上げる様々な取り組みを行っています。お二人の言葉は、このさかい環づくりの活動にも通ずるものがあり、とても自信になりました。

 また、海士町の人たちはとにかく笑顔が素敵で温かい人が多い。島南部の崎という集落では80歳を超える住民の皆さんにまちを案内してもらいましたが、皆さん「お年寄り」という言葉を使うことをためらう程お元気でした。80歳を超えてもなお漁船に乗ってサザエ漁を行い、「もうそろそろ老後のことを考えんといけんなぁ」とさらっと言ってくださった渡辺さんなど、「この島はダメだ」というような悲壮感を持っている人がおらず、皆さんがイキイキと輝いていることがとても印象的でした。また、サザエや家で作っている大根などをすぐに「持って行き」と言って、おすそ分けしてもらいました。他の班ではミカンなども分けていただいたようです。

 夕方からは行政、民間を問わず、海士町で活躍する方々とのワークショップを行いました。海士町の魅力とは何か?何が人を引き付けるのか?というお題を討論します。色々とお話を伺っていると、海士町は良くも悪くも人のつながりが濃く、それが魅力の一つでもあるとのこと。例えば洗濯物を家で干していて雨が降ってくると誰かが片づけてくれていたり、何か困っていることがあると「せせらしい(厚かましい)」くらいにお節介をしてくれたりするそうです。そういう人と人との付き合いが濃いところが、とても魅力的で人を引き付けるのではないでしょうか。これから日本の人口が減少していくなかでは、親族関係以外でも人と人とのつながりがますます重要になると思っています。人がお互いに助け合っていかないとまちや集落が成り立たないし、社会のシステムも維持できない、という気がします。フェイスブックなどのバーチャルな世界でのつながりを皆が求めているのも、その一例ではないでしょうか。崎の集落でも感じたことですが、日本の未来のあり方を垣間見たような気がしました。

 海士町での最後の夜は海士町堺市との交流会となりました。その場では、海士町では行政職員・民間人を問わず、様々な方が一同に会して取り組みを行っていることがとても印象的でした。「行政がやる事業だから」ではなく「○○さんがやることだから」だったり「みんながやらなければ」ということで海士町では物事が進む。それは別に人口が少ない海士町だから行政と住民の距離が近いわけでは無く、それぞれの人が皆本気で考え、本気で取り組んでいるから皆さん一人ひとりに魅力があり、その魅力が人を呼ぶ。属性が行政であるか民間であるかは関係が無いということに気づきました。私個人としても、堺において、自分が住んでいるまちにおいて、何事にも本気で取り組めるような、魅力的な人でありたいと思うようになりました。

 また「Iターン者は魅力を求めて海士町にやってくるし、海士町の人たちは外から人が訪れることで刺激になり、化学反応が起きる」と説明されたとき、「まさに『WinWinの関係』ですね」と言うと「うちではWinWinではなく『HappyHappyの関係』といいます」と説明されたことも印象的でした。Win(勝ち)ということはLose(負け)を生む。そうではなく、みんながHappy(幸せ)になればいいね、というものです。なるほど、素敵な言葉でもあるし、正にそれを目指さなければいけないと思いました。

 交流会、そして二次会と楽しんだ後は、宿に帰って今回の視察の総括となりました。皆、海士町の方々の熱気に触発されたようで、「市役所内でやる気のある人たちを集めて何か取り組みたい」「自分たちが核とならなければならない」というような熱い議論となりました。交流会の合間にも佃教育長に「三人の仲間を作れば環境は変えることができる」と言っていただいたことを思い出し、自分たちの意識が高まりました。最後の夜は今回の参加者の連帯感が生まれたようで、とても嬉しかったです。海士町で学んだ多くのことを自分たちも堺や地元で実現できればいいなと思い、気持ちを新たにしたのでした。

 最終日、フェリーで境港へ戻る際に、阿部さん、石坂さん、吉元課長が港まで見送りに来てくださいました。船が出航する際には、船上にいる人と岸壁にいる人がそれぞれ紙テープの端を持ち、それが離れてしまったらお別れです。船が離岸し汽笛が鳴ると、島が次第に小さくなっていきます。そんななか、姿が見えなくなるまで手を振り、大きな声で「またお越しください!」と言っていただくと、このような温かい人と人とのつながりこそが、海士町が人を引き付ける魅力であると思いました。そして、船の出航時の出来事はまさにその象徴であるように思い、島を離れる寂しさから思わず目頭が熱くなったのでした。

 最後になりましたが、今回の視察にあたり堺市職員労働組合の皆さん、巡の環の阿部さん、石坂さんをはじめ海士町の皆さんには大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

T・K氏

 私は海士町での経験を通じて、海士町の発展や、そんな中でも残る過疎地の現実を学びました。一時は財産破綻の危機に陥ったにも関わらず、Iターン(移住者)やUターン(帰郷者)が増えはじめ、今では全国的に見ても、まちづくりのモデルとなるまでになったこの島の発展の過程を知ることが大きな目的でした。

 この視察に行くまで、この大きな発展の裏にはきっと奇抜で、私たちが考えもつかないような発想や行動があるに違いない、と思っていました。確かに平成の大合併の際に、財政難の中で合併せず「自分たちの島を自分たちの手で守った」ことは、このご時世、ある意味奇抜で思い切った行動の結果だと思います。しかし、発展の過程にあった発想は思ったより一般的なものでした。

 私がこの島で感じて一番印象的だったのは「海士町の磁力は万能ではない」ということです。

 先にも述べたとおり、IターンやUターンの増加によりこの島は賑わってきています。これはそこに住む人々の温かさや濃い繋がりによるものであると感じました。実際、私も島で過ごしてよりそれを感じました。

 例えば、帰ってきたら洗濯物が勝手に取り込まれている。こういった事がもし堺市で起きれば、警察に届出られるかもしれません。何回も続けば、ニュースで取り上げられるかもしれません。しかし、海士町ではそういったことが日常茶飯事で、「あの人が気を使ってくれたんだ」と感謝する。こういった事からもわかるように、個人の垣根が非常に低く、結果とても濃い繋がりになるようです。

 だから、田舎でのんびり過ごしたい、自分だけの世界に浸りたいという人はこの島では長続きしないと思います。

 また、これも海士町の魅力の1つと言えると思いますが、「思ったことが形になりやすい」といった事が挙げられると思います。

 海士町でとれた新鮮な海産物を鮮度そのままで冷凍保存する「CAS」という技術や、Iターンの方が運営している学習塾では色々な手法を取り込み、偏差値80の子もいるそうです。

 こういうことがしたい!という思いから始まり、それをバックアップする環境があるからこそ成功していると思います。

 しかし、思いがあっても簡単に軌道には乗らない、というのは都会でも同じことで、「新しいことをしようとすると必ず摩擦が生じる」ようです。役場や島で新しい試みを持った方が、そんな摩擦の中で成功してきているのは、やっぱり「人の繋がり」だと仰っていたのが印象的でした。

 総合して、「海士町は決して万能ではない、それを補完する人々の濃い繋がりがある」ことが島外から多くの人を魅了しているのだと感じました。

 発想や根本の考えは堺市でも同様のものがあると思います。それが、摩擦が生じた時点、或いは摩擦が生ずる事が予見した時点で頓挫してしまったり、方向が変わってしまったりしているだけであって、「こういうことがしたい、新しい試みに臨みたい」という考えをバックアップする周りの人々が深い絆で結ばれていれば、往々に可能であると感じました。

 とは言え、堺市海士町は規模も人口も特色も大きく異なります。これをそのまま堺市に応用することは難しいと思いますが、まずは小さなユニットから海士町のような繋がりを作っていくことが堺市の大きな発展に繋がっていくと感じました。