堺市職労(堺市職員労働組合)ブログ

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海士町視察を振り返って①

さかい未来づくりサロン

(4月10日付)

 昨年、本紙にて募集し、堺市職労から9名で視察に臨んだ島根県隠岐海士町

 堺市職労の自治研活動の要である「さかい未来づくりサロン」の一環として、まちづくりの先進事例を学んできました。

 遅くなりましたが、各名からの報告書を掲載していきます。

M・T氏

合併を拒否!「守り」から「攻め」へ

 島根県の北約60㎞、隠岐諸島の一つの島であり町である海士町は、後鳥羽上皇が配流されたことで有名な歴史文化や伝統が残り、島全体が国立公園という自然豊かな島で、人口は約2400人で、町の職員数は全体で約70人、人口の約4割が65歳以上という超少子高齢化の町です。

 しかし、2002年に現町長の山内道雄氏が就任して以降、合併を拒否して単独町政を決め、「三位一体改革」・地方交付税削減による財政危機を行財政改革の「守り」で乗り切り、イワガキ、シロイカ、さざえ、なまこ、塩など豊富な海産物や放牧牛(隠岐牛)などを活用した産業振興、高校魅力化などの人づくりで定員増を実現。またIターン、Uターンの若者を多数迎え、町が起業支援を行う定住策をすすめるなど「攻め」に転じた施策をすすめています。

海士町視察の狙いと参加者の問題意識

 海士町堺市では人口規模も面積も産業構造も全く違いますが、過疎と人口減、町村合併の圧力と財政危機を乗り越えてきた職員やまちの人々の経験・実践と意識を学ぶことは、私たちが「堺のことは堺で決める」「子育てのまち・歴史文化のまち・匠の技が生きるまち」というまちづくりの大きな方向をどのように具体化し、行動に移し、進化させるのかを考える力になる、との狙いから視察を企画・決定しました。

 参加者は、それぞれ自らの業務や活動との関連も意識しながら、島前高校をはじめ注目されている教育と学校づくり、産業振興とりわけ伝統産業などの後継者づくり、地方創生関連法が成立する中での海士町の今後の方向性、人口減少の中で伝統芸能や歴史・文化財を地域でどう支えるのか、地域と行政がどう協働して地域をつくるのか、平成の大合併で3島合併を拒否したが、財政面での変化はどのようなものであったか、住民と職員の関係を近くする取組み、まちに対する誇りや生き様を育てるための方策は、などの問題意識を各々が持って視察に参加しました。

行政のキーマンたち

 全国の多くの市町村が「平成の大合併」に巻き込まれる中、西ノ島町知夫村との3島合併が持ち上がりました。吉元財政課長が当時、事務局長を務めていた任意合併協議会では、県側の合併推進姿勢のもとでしたが、14の集落全てで話し合いを重ねた結果、海士町は合併ではなく単独町政の継続を決断。2003年、任意合併協議会は解散となったのです。

 そして、「三位一体改革」で国が地方交付税をカットしてきたときに、町は2004年「自立促進プラン」で全職員給料カットを打ち出しました。

 吉元課長は「住民に負担をかけずにやる方法はほかになかった」「生きるか死ぬかの瀬戸際で、何でもやる、という気持ちだった」と当時を振り返ります。

「交流がキーワード」という宮岡地域共育課長は、2006年、都会の若者・学生をバスで海士町に招き、中学生に出前授業を行う「AMAワゴン事業」を主導的に実施されました。さまざまな批評はありましたが、「町長の『自立・挑戦・交流』という方針と柔軟性・判断の速さがあったからできた」といいます。

「横串のプロジェクトを積み重ねて相互理解を深めていくことを重視してきた」という吉元課長は、「文化や伝統は人がいる限り続いていくし、人口対策はそのためにある。島が無人島にならないよう考え、理想的な社会をめざしたい」と語ります。

 宮岡課長も「持続可能な島にするためには、エネルギーや大学をどうするか、などの課題も大きい」と述べ、「職員育成も考えているが…」と悩みも語られました。

「給料カットの時は厳しかった。ローンの組み換えや生命保険を解約する人もいた。」と振り返るのは中川住民生活課長代理。給料カット当時に職員組合の役員をされており、苦労の大きさが伝わります。

「住民のためにどうするか、職員が問われている。国にたよらない産業政策で住民を豊かにしなければならない。自分たちも住民であり公務員。自分がどう住みやすいまちにするのか、ということを考えていく必要があるのでは」と話すのは松前環境整備課長です。

 第3セクター「(株)ふるさと海士」の門さんは「海士町には就職がない、と言われていたが、CAS(細胞組織を壊さず凍結させ、鮮度を長期間保持するシステム)によって漁業者、雇用者、消費者の三方にプラスとなった」と評価します。

「よそ者大歓迎」崎地区フィールドワーク

 島の南端に位置し漁港やみかん山がある崎地区の小仲さんに地域の案内をしていただきました。

 昔、越前クラゲの足でタイを釣り、島内の漁師に釣りの方法を教えたと言われる島外の漁師が住みついていたとされる「洞穴」や、さざえなどが今でも豊富に採れる海岸、甘みと酸味のバランスがとれたおいしいみかんが採れる山を案内していただきました。

 みかん山は後継者が不足し、みかん栽培をやめるところが増えてきましたが、再生に向けて町が一定の面積を買い上げて事業をすることになっているそうです。また、Iターンでみかん栽培に従事する人もでてきたということで栽培を継続できる展望も少し見えてきました。

 このフィールドワークで感じたことは、豊かな自然に恵まれ、これを活かした農漁業が継続していること、後継者問題など持続可能性に不安はあるものの、自分たちのまちに誇りと自信を持ちつつ、よそ者大歓迎のもてなしがまちの特徴であることです(あるグループは、たまたま出会ったおばさんが全員にみかんを配ってくれた)。

「自立・挑戦・交流」

 海士町視察ツアー全体を通じて得られたことは、持続可能な地域社会=島=まちをつくるために、自分たちが暮らす地域に誇りと希望を持つ住民をいかに増やすか、行政マンが人間関係をつなぐ努力を継続することの重要性など、地域づくり、ひとづくりの「原点」をあらためて認識したことです。

 地域付き合いや人付き合いはある種、「面倒くさいもの」でもあります。しかし、島の人たちが「せせらしい」と表現する、面倒な「世話焼き」(一例:留守中に急に雨が降ってくると近所の人が洗濯物を取り入れてくれている、など)や人情こそが人間関係の原点であり、そこにこそ豊かな地域づくり・人づくりを構築する土壌や人がつながるベースがあるのではないか、と強く感じました。

 海士町職員は島の住民でもあります。ゆえに役場と住民の意識的な距離感が非常に近いということや、職員数が約70人というコンパクトな組織であることなどの物理的条件もあります。それは堺市とは異なりますが、住む人にとっても訪れる人にとっても魅力的で豊かな、かつ持続できる地域づくり・人づくりをすすめるために何をすべきか、という課題を考えるにあたって、海士町の経験と人々の意識に触れて、得られたことは多くありました。

 特に、まちを誇りに思い、守っていこうとする住民とそんな人たちをつないでいく行政マンの本気度と努力、そして、住民同士また住民と行政の顔が見える関係が地方自治の原点であること、「自立・挑戦・交流~そして人と自然が輝く島」のスローガンにあるように持続可能なまちづくりをすすめようというリーダー(町長)の姿勢と方針が明確であること、が大きいと考えます。

求められる真の地方活性化

 日本創生会議が2014年5月に発表した「地方消滅論」を受け、先の国会で解散のどさくさに成立した「地方創生関連法」(「まち・ひと・しごと創生」)により、国、地方自治体が総合戦略を定めるとされ、その策定を補佐するため、自治体に国家公務員を派遣する制度も取り入れるなどとされています。

 しかし、かつて2002年骨太方針に盛り込まれた「三位一体の改革」による地方交付税削減や合併特例債をエサに進められた「平成の大合併」など、地方の疲弊に拍車をかけた疑いの濃い「過去の地方活性化策」の検証と反省を政府自身が行わないまま、「消滅可能性の高い自治体」などと危機をあおるかのような姿勢は、またしても地域経済の切り捨てと競争の押し付けがすすむのではないか、との懸念を抱かざるを得ません。

堺のまちで何をすべきか

 今回の視察を通じて、海士町が掲げる「自立・挑戦・交流」のキーワードは、堺でも重要な方向だとあらためて感じています。「大阪都」構想の押し付けを拒否した堺市は、自立した独自のまちづくりに挑戦しなければいけないし、そのためにも南大阪など近隣自治体や全国の政令市などとも協力した政策展開が求められています。

 しかし、果たして自分たちの中に、「生きるか死ぬかの瀬戸際、なんでもやってみる」(吉元課長)というぐらいの切迫感があっただろうか、と思わざるを得ませんでした。

 一昨年の市長選挙で「大阪都」構想を拒否し、「堺のことは堺で決める」と自立したまちづくりを内外に宣言した堺市ですが、これからの取組みが問われているといえます。

そのためにこれからの大きなビジョンをわかりやすく示すことや、取組み・運動を柔軟にすすめるための「余白が大事」((株)巡の環 阿部裕志氏)という指摘を新鮮に受け止めました。

 私たちが自治体労働者・労働組合として、学習と実践と総括を繰り返しながら、地域づくり・人づくり、市民と行政・市民と市民のつながりを広げ、わがまち堺をさらに発展させる取組みを粘り強くすすめる決意を新たにした視察でありました。