さかい未来づくりサロン
(4月14日付)
A・K氏
海士町は、人間にとって「本当の場所」、堺や大阪のような場所で暮らしている我々が忘れてしまった、自然とのかかわりが身近に感じられる場所だ。海士町には、人間が本来慣れ親しんできたはずなのに、明治以降150年ほどの「短い」時間で少しずつ忘れてしまった、「夜の暗さ」「朝の清々しさ」「雲の流れ」「風や雨の音」「木々のざわめき」そんなものがそのまま残っている。
もちろん海士町は離島であり、フェリーが欠航すれば、島から出ることもできない。24時間買い物ができるコンビニもない。海士町の人々は「自然と生活」に正面から向き合わないと生きていくことができない。
わずか二泊三日身を置いただけで感じることは限られるが、確信したことは、海士町には、人間がもともと持っている「力」を引き出すことのできる「磁場」があるということだ。
「できない理由を探すのではなく、できる方法を探そう」という海士町の佃教育長の言葉に象徴されるように、高い志を持って、課題に気づく目があれば、人間は、少しずつでも前に進むことができる。
しかし、日常の自分を顧みれば「できない理由」ばかりを探しながら、日々仕事をこなしている実態がある。「どんなに大きな組織でも、3人の人間が『できる方法を探そう』と結束を固めれば、物事は『じわり』とでも動く」これも佃教育長の弁。
人間がバラバラにされ、他人を蹴落とそうと競い合うのではなく、志を共有し、結束して前向きに動く。競争社会・格差社会の中で少しずつ忘れてしまっているが、これが人間本来の力のはずだ。
また、海士町は「外」の人材を活用することに長けている。後鳥羽上皇御配流の地であった歴史の影響だろうか、全国の大学生を島に招き、海士町の中高生や地域住民と密着型交流をおこなうプログラム「AMAワゴン」。島留学で島外から学生を集め、高校に配置された社会教育主事を中心に海士町の地域づくりを経験しながら高校生活を送る「高校魅力化プロジェクト」。島外からの高校生は、海士町の子どもたちにとって良い刺激となり、都会の高校生は、海士町で自然とかかわりながら地域で生きていくことを学ぶ。離島だからこそ、「ない」ものはたくさんあるけれど、外からの力を多様に受け入れることで、マイナスをプラスに転化していく思考がある。
「巡の環」の阿部さん、石坂さんにお世話になり、海士町では実に色々な人々と出会った。海士町の吉元財政課長、宮岡地域共育課長、崎地区の橋本区長をはじめとした地域のみなさん、ワークショップや交流会でお話させていただいたみなさん。人と人とのつながりを何よりも大切にし、関わる人を「やってみようか」という気にさせる。志(ビジョン)を高く掲げながらも、常に「余白」をつくっておき、後から参加できる余地を残しておく。まちづくりに必要な「人間力」。さまざまな個性と長所・短所がある人間を一律に「評価」するのではなく、「人間力」を引き出すことで活かす。人間の使い捨てなど決してしない離島の島で、地域づくり、人材育成の原点を見る思いがした。
【余談】
海士町崎地区の日蓮宗寺院法久寺。明治11年(1878年)海士(中ノ島)を布教のため訪れた堺妙國寺の貫主、日鐘上人が地元の人々の願いによって開いた寺。法久寺は現在も崎地区の人々によって大切に維持されている。そして、法久寺の海の見える庭園には、ソテツが植えられていた。きっとそのソテツは当時、日鐘上人によって妙國寺から株分けされたものに違いない。130年間、じっと堺からの来訪者を待っていたのかもしれない。でも、このソテツは海士の居心地が良かったのか、「堺へ帰りたい」と泣くことはなかったようだ。
M・T氏
2泊3日の研修で島根県隠岐郡海士町へ。若手組合員6名とベテラン組合員3名、民間企業から1名の編成。
プログラムやアテンドは株式会社 巡の環の皆さんにご協力いただきました(代表取締役の阿部さんとは、さかい未来づくりサロンの記念すべき第1回のゲストスピーカーにお招きして以来)。
①島内を一周し、海士町のイメージを共有。
②合併問題を乗り越え、様々な施策で海士町を牽引するキーマンにインタビュー。
③グループに分かれて地域の方とフィールドワーク。気付いたものを撮って話を聞きながら、戻ってきてグループごとに発表。
④海士町職員を交えたワークショップ。テーマに対して出たワードを模造紙に書き出し、テーブルごとに発表(前段で堺市のプレゼンもさせていただきました)。
⑤海士町職員を交えたパネルディスカッション。パネリスト席は出入り自由とし、パネリストの指名で入れ代わりも可。
⑥各自振り返り。
巡の環の石坂さんが進行、阿部さんが深める役としてついていただいたのが大きかった。全体のプログラムだけでなく、交流会や移動時にふとした気付きをいただき、なるほどなと。自分も仕事で様々な企画や会議を運営することが多く、こういった役回りは重要だなと改めて。
【気付き】
「都市である堺市から離島の海士町を視察して何が参考になるの?」「何故、労働組合がまちづくりの視察をするの?」と思われる方も多いだろう。しかし、両者はそれぞれ「遠くて近い」関係なのだ。
「海士町は13年前、合併問題から自立を決断した。堺市も一昨年、大阪都構想を乗り越え、自立を決断した。海士町は『ではどうするのか』という問いに対して様々なプロジェクトを実行し、今ではまちづくりのモデルとなっている。堺市は?」という問題意識があった。
キーマンにお話を伺う中で、例えば、多くのIターンUターンを獲得するきっかけとなった「AMAワゴン」にしても、初めは反発ばかりだったという。しかし、「それでもやる」「成果はまだ出ないかもしれない。でも危機感を持ってるからこそやるんだ」「自らこじ開ける」という言葉に非常に共感を覚えた。
と言っても「海士町と堺市では規模も組織体系も違う」というところだが、阿部さんが「けっきょくのところは繋がり」と仰っていて、そう考えると、大組織も小組織もそんなに変わらないのではと思えた。キーマンは「横串のプロジェクト」と仰っていた。縦割りの大組織の中で、それができるのが労働組合ではないだろうか。
視察中、けっこうな割合で「実は労働組合役員」という声を聞いた。合併問題の後、訪れた財政危機の際も労働組合が尽力したという。一筋縄ではいかない葛藤を聞いた。
海士町のプロジェクトは島の多様性をフルに活用している。資源、環境、伝統、人。しかし、堺市も多様性では負けていないと思う。一昨年、「堺はひとつ」をスローガンに大阪都構想と対峙したが、そのスローガンには多様性が含まれている。堺市の歴史を振り返れば、山や海など多様な地形から、そこに根ざしてきた多様な産業や文化が集合し、成り立ってきた。
視察の数日前、「どさかいサミット」というイベントが開催され、「堺は都市なのか?」というテーマが話し合われた。その中で「都市と言ってもイメージはそれぞれで、ニューヨークや東京のようなビルが立ち並び車が行き交う都市と、パリのような中心地はけっこう田舎ぽく建物も低く人が往来する都市がある。堺市もけっこう田舎臭いよね」という話が印象に残った。後者のイメージであれば、海士町から学べることはたくさんあるように思う。
海士町には以前から、イオンやサントリーといった大企業の労働組合が視察に来ている。堺市職労の後にも予定されているという。「何故、労働組合がまちづくりの視察をするの?」。その問いに阿部さんは「ある大企業の労働組合は、地域に自社施設が建ち、結果的に地域を枯渇させている状況を問題視している。企業も地域との共生を模索しないといけない。企業内の組織である労働組合だからできることがある」と仰っていた。堺市職労も同様のことを考え、この視察だけでなく、様々なことにこれまで取り組んできた。
こういった企業内労働組合が増え、都市のイメージを共有し、連携できれば、まちづくりへの大きな力になるのではないだろうか。それが労働組合の社会的役割の一つであり、そうすることで労働組合のイメージもポジティブに変わっていくように思う。