一度も稼動しない原発、そして美しい都・ウィーンの「もう一つの顔」
(10月8日付)
10月2日(木)、サンスクエア堺で労働学校「堺・憲法教室」プレ企画が開催され、同教室講師の中田進関西勤労者教育協会副会長が今秋の旅のお話と併せ、原発ゼロ、オーストロファシズムを講演。
フィンランドでは、大学まで無償で、20人学級や子どもを競争させるのではなく、わかるまで粘り強く学ぶという教育状況を語る。
一度も稼動しない原発
オーストリアは、人口800万人、面積は北海道と同程度の国で、1972年原子力発電所建設開始、77年完成。しかし、放射性廃棄物の処理や安全性などに対する懸念から反対運動が起こり、78年国民投票(賛成49・53%、反対50・47%)を実施、翌年結果を受け、全会一致で「原子力禁止法」可決。85年に運転を求める動きもあったが否決。86年チェルノブイリ事故で運転の道は閉ざされ、同年解体指示がだされた。
総発電量(09年)の62・3%が水力、33・9%が火力、2・9%が再生可能エネルギー、そしてわずかに輸入。輸入電力=間接的な原発依存の脱却のため、20年までに再生エネルギー割合の34%への引上げを目標としている。
原子力の破局的な状況があった場合の複数の都市の避難が不可能と当時考えられ、反対運動が核兵器の水平拡散に対するたたかいに寄与するとも認識された。そして、僅差の過半数が国政を支え、かつ国境を越えヨーロッパ全土の反核運動を後押している。
ウィーンもう一つの顔
第2次大戦前、イタリア、ドイツ、オーストリアの3ヶ所に起こったファシズムが大勢力となり、ナチスはオーストリアを併合(併合賛成が99%)。オーストリア人は先兵として、多くのいのちが落とされ、ウィーンも破壊された。戦後、10年間の連合国の占領をへて永世中立国として復帰。
中田氏は、「現在も「過去の克服」に向けて学び、努力を続けているが、まだ反省までには至っていない。この点は日本も同じ状況にあるのではないか」「過去の反省なくして、信頼を得ることはできない」と語られた。
労働学校堺教室
10月9日(木)開校
毎週木曜日・18時30分~20時30分
サンスクエア堺にて