参加者のレポート M・Sさん
(8月22日付)
ウクライナやガザなど世界各地で発生している紛争、日本でも隣国からのミサイル発射や島をめぐる各国とのもめ事など、戦争の火種がくすぶっています。安倍内閣が世界に誇る平和憲法である第9条を形骸化する、憲法解釈の歪曲による閣議決定で集団的自衛権を行使し、戦争できる国にしようとしているなか、原水爆禁止世界大会が8月4日から3日間広島で開催され、小5の娘と共に参加してきました。
参加した3日間は台風の影響からかずっと雨(時折雷も)が降っており、説明を受ける様々な所で地元の方も「晴れる日が多いため、この日に原爆が落とされたぐらいなのに、この日に雨が降り続くことは過去数十年見たことがない」と驚いていました。
そんなまれな日に、1974年から40年間続いている分科会「似島(にのしま)少年少女のつどい」に参加しました。
似島は広島港(宇品港)から4kmのところにある、周囲14kmで人口1200名ほどの小島です。もし、分科会としての事前情報もなく現地につけば、のどかな少しさびれた農村・漁村の雰囲気があり、ゆったりと時が過ぎてゆく観光地でした。しかし、ここは近代日本の戦争史において深いかかわりをもつ場所でした。
時は、武士が支配していた江戸時代から近代国家への道を歩みだした明治時代。欧米列強国に、追い付け追い越せと富国強兵を国是として軍拡に明け暮れた日本。 日清戦争が開始されると、この広島の地に軍司令部が移され、全国の兵士たちが広島から戦場に向かうことになり、戦争終了後に戦場から帰還してくる兵士たちが外国の伝染病を日本に持ち込まないために、似島に検疫所が設けられました。
その後、日本は日露戦争・第一次世界大戦と数多くの戦争を行なう中、戦地から戻る兵士は似島経由で全国に帰っていくことになりました。
昭和に入って第二次世界大戦が始まり、敗戦の色が濃くなってきていた8月6日、広島に原爆が投下されると、検疫所があった関係で医薬品や治療設備があったために、被爆者の臨時救護所となり、広島市内から次々と被爆者が運び込まれました。
このように、似島は戦争に大きな役割を果たした軍事施設があったことによる加害と、多数の被爆者を収容し、多くの犠牲者を出した被害の両面を持った非常に珍しい地域です。
分科会実行委員会の方も全国の多くの方(特に子供たち)に平和学習として似島を知ってもらい、実際に来てもらいたいと話していましたが、国民の平和を願う思いから逆方向に進もうとしている今の日本のことを考えるためにも、この似島のことを勉強することがとても必要だと感じました。