堺市職労(堺市職員労働組合)ブログ

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連載・阪神淡路大震災から20年⑤

~その時、職員は?労働組合は?~

(1月21日付)

 20年前の大震災で、西宮市は1000名を超える市民の命が奪われ、4名の職員が犠牲になりました。

 そのような厳しい状況の中で、自治体労働者・労働組合として住民のいのちとくらしを守る激務にあたりつつ、職員の健康・安全を軽視させない活動にご奮闘された西宮市職員労働組合を訪ねてお話を伺いました。(今回の訪問・取材は1月8日、上下水道局維持管理課・池側将司、組合書記局・丹野優で行いました。)

「一番に職場についた」

 今回お伺いしたのは、西宮市職労執行委員長で兵庫自治労連執行委員長も務められている森栗さん(写真・右)と西宮市職労特別執行委員の松井さん(写真・左)。

 森栗さんは当時、市職労中央書記長を務め、まさに労働組合の「かなめ」の役割を果たされており、松井さんは当時、組合では職員支部書記長、仕事は前年度に課となったばかりの防災対策課に所属した初年度でした。

 家が市役所から近かったこともありますが、「地震の後すぐに職場に向かい、午前6時すぎに、職場についたんです。一番でした。防災対策課の職員は何があっても早くいかなければならない、と思ってましたから」という松井さんに頭が下がります。しかし、初動体制は職員自身が被災した状況ですぐにはとれず、「1時間程度で何とか集まったメンバーで動き出しました。避難と救助に分かれて活動しましたが、避難の全容を掴むのに3日ぐらいかかりました。職員はしばらく床に段ボールを引いて寝ました」と言います。ちなみに、把握した避難者は1月19日現在44351人、避難所は194か所でした。

 また、森栗さんは震災から1週間後に、亡くなった職員の告別式に参列しましたが、火葬ができないため「棺桶が並べられたまま」だったそうです。

現在6割超が震災後入庁職員

 「阪神淡路被災12市中9市 震災後の入庁半数超」「被害対応の継承課題に」(2014年11月1日付神戸新聞)――西宮市は職員構成の62%が震災後入庁の職員(神戸市は46%)と報道されています。

 このような状況を踏まえて市職労でも震災から20年を迎えるにあたり、1995(平成7)年10月に、市が職員に対して行ったアンケート調査結果を振り返り、「あの時、先輩たちはどう動いたか」をあらためて組合ニュースに掲載して職場に報せています。(アンケートには当時約4500人の職員が回答)

 同アンケート調査報告書より・・・。

震災前居住地=「西宮市」59・9%、「神戸市」13%、「宝塚市」6・9%・・・

1月17日出勤の有無=「出勤した」51・1%、「出勤できなかった」47・8%

1月17日の出勤時間=「6時前」0・6%、「6時~7時前」4・9%、「7時~8時前」14・8%、「8時~9時前」25・3%・・・

行政として次の災害への備え=(上位から)「食料・飲料水・毛布等の備蓄」、「防火水槽・貯水槽等の整備」、「情報システムの整備」、「災害対策本部機能の充実」、「公共施設の耐震化」・・・

従事した業務で困ったこと=(上位から)「指示・命令が伝わらない」、「食事や休憩がとれない」、「情報が入らず市民に説明できない」、「道具や機材がない」、「職員が少なく仕事がこなせない」・・・

震災直後の混乱原因=(上位から)「指示・命令系統が不明確」、「平常時から備えができていない」、「電話不通で情報の収集等が不能」、「災害時のマニュアルがない」、「情報が入らない」・・・

などとなっています。

 特に「次の災害への備え」の回答は、大災害を経験した職員の回答として重いものがあります。

職員・組合員の声をもとに

 大震災から約1年後に市職労が発行した「住民本位の復旧・復興を願って 阪神・淡路大震災記録集」には、大震災直後の混乱と悲しみを乗り越えて大変な中でも住民本位のまちづくりと厳しい状況でも頑張る職員・組合員の声や要求をもとに実態の改善をすすめる自治労働組合の姿がにじみ出ています。また、震災対策の課題について多くの組合員の意見を集約しています。

 市職労は大震災直後から、庁舎の安全性、情報収集・伝達、救助活動、職員の健康問題、勤務体制、他自治体職員派遣受け入れ、仮設住宅関係などについて、当局への申し入れと協議を断続的におこなってきました。混乱の中で、労使双方がそれぞれの立場から持てる情報を交換し、職員の声を反映し、さまざまな事象に的確に対応する努力を重ねたのです。

 組合という、市役所全体の所属を超えた組織特性をいかした情報集約、対応の迅速さ、柔軟さが伝わります。

 森栗さんは「この年の夏季交渉で最大の要求は超長時間残業の軽減、人員確保だったのです。交渉の結果、当局も来年度採用予定者を前倒しで採用する判断をしました」と当時を振り返ります。

「次の災害にどう備えるか」

 いま、西宮市はマンションが増えて、少子化とは思えないほど子どもが多くなっています。その一方、復興住宅(借り上げ住宅:期間は20年とされている)に入居している住民が高齢化し20年間でできたコミュニティーもあって、今さら出ていけない、という現状もあります。また、国の復興予算の補助金に頼って「身の丈以上」の事業を行った結果、財政難を招いたという反省点もあります。

 森栗さんは、市の状況について「組合として行財政分析も行って提言してきました。現状のような急激な人口増ではなく、緩やかな増加が今後行政的にも財政的にも望ましいのですが・・」と述べ、復興事業についても「大企業のもうけだけでなく、真に地域経済に循環させられるような仕組みが必要だと思います」と語ります。

 松井さんが「復興の過程は時間がかかったが、まちづくりはすすんできました。次の災害にどう備えるか、が最大の課題です。初動、救助、復旧、復興におけるノウハウや経験を後輩職員に継承していきたい。そして、仮に災害が起こっても人災や行政災などと言わせないようにしたい。」と強く語られたのが非常に印象的でした。