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シマノ自転車博物館で学んだ 堺の自転車産業の歴史(投稿)

1月11日付

1992年から大仙公園内にあった「自転車博物館サイクルセンター」が、堺東駅近くに移転、2022年3月「シマノ自転車博物館」としてリニューアルオープンしました。 公益財団法人シマノ・サイクル開発センターが運営しています。
 先日、あることがきっかけで見学に行ったところ、堺の自転車産業の歴史について非常に勉強になりました。少しだけご紹介させていただきます。

 1899年、双輪商店が堺で初めて自転車の賃貸しを始めますが転倒や故障が相次ぎ、堺の鉄砲鍛冶の流れをくむ技術者に自転車の修理がたくさん舞い込みました。ここから堺の部品作りがはじまり、自転車産業のルーツとなりました。
 1901年、日本中で自転車の需要が拡大、堺の鉄砲鍛冶の流れをくむ多くの金属加工技術者が自転車・部品の生産に乗り出します。 同年、双輪商会が自転車普及のために大浜公園で競走会を開催。1907年(明治40年)には堺に自転車教習所ができます。
 1914年、第一次大戦で自転車の輸入が止まり国内生産が必要となったことから堺の金属加工業者の多くが自転車・部品製造・卸業者となり、堺は一大部品産地に発展します。
 1930年、堺の自転車・部品製造会社が輸出を盛んに行うようになり、1937年には自転車・部品は日本の機械輸出部門でトップとなります。しかし日中戦争がはじまり、第二次大戦終戦まで生産は一時的に縮小を余儀なくされます。
 1945年、空襲で焼け野原となった堺のまちから自転車業界の人々が活動を再開。堺自転車製造卸商組合、堺自転車小売商組合、堺市役所が協力し堺自転車産業振興会が生まれ、堺の自転車産業が息を吹き返したのです。

 自転車・部品の製造に堺の鉄砲鍛冶の技術が生かされているとは聞いていましたが、具体的な歴史を知れば、あらためて堺の先人の技術力・創造力と逞しさに脱帽します。