8月7日付
現在子どもは2年生。
夏祭りでダンス出演して、おみこしわっしょいをして、夜店まわりをして、プールに行って、友達とお泊りをしてと夏休み活動中です。
さて、8月は、広島と長崎に原爆が落とされた月です。先日は、戦時下に広島市から呉に嫁いだすずさんの日常を描いた映画「この世界の片隅に」が地上波初放送されました。
これまで僕は、原爆の悲惨さや核兵器廃絶の世界の流れなどを学んできましたが、頭では核兵器はあかんと思っても、実感を持つことが難しい、どうすればよいかとおろおろするばかりでした。
そこで思い切って昨年、遠方に住む93歳になる祖父に、戦時中どう過ごしていたのか尋ねました。
祖父は13枚の手紙をよこしてくれました。
熊本県阿蘇郡波野村で貧農の子として牛の世話をしながら育った祖父は、戦争中、勤労動員で長崎市住吉町で働きました。しかし、昭和19年に病気にかかり、阿蘇で1年間療養。
その後復帰したものの、復帰直後の20年6月に軍に召集され、長崎市から東方30㎞の島原半島小浜温泉で次の任地を待っていました。8月9日の11時、西の空がピカッと光るのを見たのでした。
思えば、すずさんの住む呉と広島の距離も25㎞位であり、映画のような体験を祖父もしたのだろうと思いました。
手紙を読み、もしあの日長崎市で働いていたら・・、もし召集が早まって南方に行っていたら・・と、さまざまなifが頭をぐるぐるしました。祖父が今日まで生きてきたのは、貴重なことであり、それが今の自分につながっているのだと実感。核兵器はなくさなあかんとの思いを新たにしたのでした。
いつか子どもにもそのことを伝え、学んでほしいなと思ったのでした。