11月26日付
安曇野ちひろ美術館に行き、黒柳徹子さんの「窓ぎわのトットちゃん」を購入して・・(続く)と書いてからはや1か月半が過ぎてしまいました。
戦前の東京・自由が丘にあった私立トモエ学園に通った黒柳さんの自伝的物語である「トットちゃん」では、小林校長先生の生徒に対する思いや、トットちゃんのいたずら、同級生や愛犬ロッキーの話、忍び寄る戦争の影などさまざまなエピソードがいきいきと描かれていました。
それは「学校とは座って机に向かって、先生の言うことを板書して暗記するところ」「将来のため、今は我慢してがんばる時期」「恥ずかしくて女子とは話せなかった」など、寂しいエピソードが浮かんでくる僕の学校生活の思い出とはずいぶん対照的でしたが、しかしこれは、トモエ学園という奇跡的な学校の事例なのだろうと思っていました。
けれども、その後フィンランドやオランダなど、教育が注目されている国について調べてみると、20人規模の少人数学級や異年齢クラス、生徒一人ひとりにあわせたカリキュラム、自分で考え行動することを重視、宿題はほとんど出ないといった教育がされ、1人ひとりのやる気を育むように努力していると感じました。
日本でも教育について、これまでのように「解き方があらかじめ定まった問題を効率的に解ける力を育むだけでは不十分」であり、「社会の加速度的な変化の中でも、主体的に判断し、自ら問いを立ててその解決を目指し、他者と協働しながら新たな価値を生み出していくことが求められる」という議論がされているようです。
「そうすると、自分が一生懸命暗記したのは何だったのか?」とも思えましたが、時代の変化のまっただ中にいるのだと思うと、おろおろしつつも、僕も教育についてもっと関心を持たなあかんなと思い直すのでした。