2月27日付
匿名希望
12月1日から2日にかけて、徳島県神山町を訪れた。神山町は山に囲まれた自然豊かな町で、人口は約5000人、高齢化率は約50%に達する典型的な過疎の町である。しかし、そんな過疎化に悩む町にIT企業がサテライトオフィスを構えたり、日本だけでなく海外からも移住者がやってきたりしているという。なぜ人々は神山町に惹きつけられるのか。その答えを探すため、神山町で移住者の受け入れやIT企業誘致を長年担ってきたNPO法人「グリーンバレー」の担当者に話を聞いた。
NPO法人「グリーンバレー」は2004年に設立されたが、理事長の大南さんが地域での活動を始めるそもそものきっかけは10年以上前のある出来事にあった。それは、日米交流事業で1927年に米国から贈られた青い目の人形を里帰りさせるというものだった。太平洋戦争が始まる前に日本全国に贈られたこの人形は、戦争が始まると敵国から来たということで多くが壊されてしまったが、神山町では壊されずに小学校に保管されていた。この人形はパスポートを所持していたため、出身地の情報から贈り主を探し出し、1991年に64年ぶりの里帰りを実現させたのである。
その後も人形をきっかけとした活動を続けていた中で、1997年に転機を迎えた。徳島県が神山町に国際文化村をつくろうという構想を発表し、大南さんたちは住民目線でのプランを住民側から提案していこうと動き始めた。結局、構想自体は頓挫してしまったが、住民の思いが詰まった国際文化村を創ろうとこの時に始めた活動が「アーティスト・イン・レジデンス」である。これは観光客ではなくアーティストに焦点を絞り、アーティストの滞在満足度を上げることによって、神山町の持つ場の価値を高めていくという活動である。これにより、実際に滞在したアーティストたちからの評判が口コミで伝わり、いろいろなアーティストが自ら望んで神山にやって来るという好循環が生まれていった。
この活動を7~8年続けた後、ビジネスとして展開させるため、情報発信として「イン神山」というウェブサイトを立ち上げた。アートに関する記事を充実させていこうと考えて始めたものだったが、結果的に一番多く読まれていたものは「神山で暮らす」というコンテンツであることがわかった。そこで今度は町の将来にとって必要になると思われるような働き手や起業家をピンポイントで逆指名しようという「ワーク・イン・レジデンス」という企画を始めることにしたのである。サテライトオフィスがつくられたきっかけもこの「ワーク・イン・レジデンス」で空き家の改修を建築家に手伝ってもらったことだった。神山町に集まる人々の思いが少しずつつながっていき、大きな動きになった。
移住者が増えてくると気になるのが、外から来た人と地元の人との関係である。神山町で両者の関係がうまくいっているのは、長年の活動で地元の人からの信用も厚いグリーンバレーが移住者の審査を行った上で空き家の貸出を行っているからだろう。それに加えて、神山町にはよそ者に対してオープンで多様性を許容する懐の深さがある。それは人形の里帰り活動の時から時間をかけてじっくりと活動を進めてきた中で育まれ、町全体の変化として現れてきたのではないか。
「すき」に「て」を入れると、「すてき」な町になる。グリーンバレーの担当者の言葉である。まちづくりにおいても短期的な成果が求められがちだが、自分たちにできることは何か、知恵を出し、楽しみながら粘り強く続けていくことが大切だと実感した2日間だった。