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岩手・大槌の風 第8風

大槌町役場の惨劇㊤(8月30日付)

前回から時計の針を少しだけ戻します。

 多くの自治体で甚大な被害をもたらした東日本大震災の中でも「最大の惨劇」と語られる大槌町役場。2011年3月11日、地震が発生し、大津波が襲来する直前直後の町役場はどのような状況だったのか。

 盛土が進み、地盤の高さが当時のまま、周囲より2~3メートル低い所にある町役場は6年以上経った今でもコンクリート壁に大きな穴が幾つもあり、当時の状況を雄弁に物語っています。大槌町に来て4か月目を迎える私が直接伺えたのはたった一人、当時の総務課主幹・H氏(現職は後述)のお話に頼るのみです。

【H氏の話】「私は地震の時、(2階建て)庁舎2階の総務課におり、地震の揺れによって床にヒビが入った。なにぶん古い庁舎なので建物内は危険だと思い、外に出た。そして(正面玄関付近の)駐車場に机や椅子、ボードを運び臨時の災害対策本部にしようとしていた。その時はまだ津波の危険性は低いと思っていた」。

 大槌町は、大震災前にも浸水域が判明しているだけでも3回の津波を経験しており、当時既に町の地震対策マニュアルは策定済で、そのマニュアルでは、役場から地盤が約40メートル高く、徒歩15分ほどの距離にある中央公民館に災害対策本部を設置するように記載されていました。しかし平野氏はこう続けました。

 「私は部下たちが駐車場で机を並べるのに何の不思議な感じも持たなかった。訓練の時も机を出して情報収集するという流れだったので」。