堺市職労(堺市職員労働組合)ブログ

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岩手・大槌の風 第5風

東日本大震災の追憶②(6月23日付)

 「3・11の何日か前にも地震があって、津波警報出たけど、全然津波来なかったんだよ。だからあの時もどうせ来ないだろって思った」。

 これは後に別の方に聞いた話ですが、地震直後、下水道の部署にいた方が大槌川河口付近にある下水処理場津波で被害が起きるかどうか確認に行き、亡くなった方もいたそうです。

 三陸沿岸は地震が多いものの、実際に大津波を体験した人は少なく、「どうせ来ない」という認識が広がっていたようです。

 「でもラジオを聞いてたら他の町で津波が届いたって。だから慌てて高台に向かおうとした。車で向かったんだけど前が進まなくて、車停めて走った。

 数日前の時とは町も様子が違っていた。高台の入口まで来ても後ろから砂埃は見えたけど、水は全然見えなかった。でも高台の上の方に避難した人達から『急げ、急げ』って叫ぶような声がして。

 高台に登り始めた時後ろを振り返ったら水がすぐそこまで来てた。しかもすごい速さで真っ黒い水が迫って来て、それからは必死に上まで登った。その時は他の家族の安否は全くわからなかった」。

 震災による大槌町の死者・行方不明者は町民12人に1人、約1300人に上ります。特に海に近い地区に住んでいた方々の被害は甚大でした。

 その方は最後にこう締め括りました。「でもうちは家族5人全員無事だった。家は失ったけど、命助かっただけ儲けものだった。隣近所は家族の誰かが、下手をすれば全員が亡くなったんだから」。

 そう、高台に避難して津波を凌いだ方々にもまだ至難の状況は続いたのです。(続く)