レモンのある風景が
家族やまちのヒストリーに!(6月9日付)
5月25日(木)、「泉北レモンの街ストーリー」代表の苅谷由佳さんをゲストスピーカーにお迎えして、12回目となる「さかい未来づくりサロン」が開催されました。当日は庁外・内合わせて41名の参加がありました。
なぜ レモン?
堺生まれの苅谷さんが「泉北レモン」に関わるようになったのは、2014年「泉北をつむぐまちとわたしプロジェクト」に参加したことがきっかけ。
「なぜ、レモンなんだろう?」という参加者の疑問は、苅谷さんのお話を聞いて解決しました。堺の大浜で生まれ育った苅谷さんのお母さんは、1945年7月の堺空襲に遭遇、堺が焼野原になったのを目の当たりにされたそうです。戦後、様々な苦労を経験して、泉北ニュータウンに家を構えたとき、「一生食べるのに困らないように」と庭にレモンの木が植えられました。泉北の気候と合っているのか、大きくなって毎年たくさんの実をつけるレモン。苅谷さんにとってレモンの木は、家族の歴史そのものでした。
泉北をレモンの街に
家族の仕事の関係でしばらく堺を離れていた苅谷さんが、再びニュータウンに帰って来て、「いつかはレモンで何かやりたい」とずっと心の中で思い続けていたそうです。「プロジェクト」の中で「泉北をレモンの街にしよう!」という苅谷さんの提案に賛同したのが13名。そのメンバーを中心に、手づくりのナンバープレートを付けたレモンを自宅や商店で育ててもらい、泉北をレモンの街にしようというプロジェクトが始まりました。
泉北中に広がる
輪と展開
「子どもが生まれた記念に」「家族や友人へのお祝いに」「老人施設や保育園で」、人々がレモンを育てるきっかけは様々ですが、次第に輪が広がって、今では270本以上の木が植えられているそうです。レモンの育て方の講習や「塩レモン」などのレシピなど、収穫後のレモンの活用の仕方も、メンバーを中心に広がっていきました。レモンの木を介して、いろいろな人が繋がるコミュニティづくりの活動に留まらず、苅谷さんたちは「レモンを泉北の特産品に」というビジネス展開も目ざしているそうです。
まちびらき50年
苅谷さんからのお話の後は、グループに分かれてディスカッションを行いました。参加者からは「活き活きと活動されていて、とても元気をもらった。自分も何か始めたいと思った」「泉北を愛し、自分たちでまちを作っていこうとしていることがよくわかった」「ビジネスとしてもやっていこうという責任と覚悟が素晴らしい」などの声が出されました。
今年は泉北ニュータウンのまちびらきから50年になります。100年後、150年後の未来を目ざした苅谷さんたちの活動が、新たなまちのヒストリーを作ることを実感したひとときでした。