『大切なものを守る心構え』刻み込んだ
(2月2日付)
今回20年の節目という事で、当時を振り返る取材に同行させていただきました。20年前と言えば僕は小学4年生。激しい揺れと共に目覚め、父親がベッドまで飛んできた事を覚えています。その後ニュースの映像等で様子を見るだけで、正直に言うと実感としては乏しく、わが身の事として中々考えられていませんでした。しかし今回取材に同行させてもらい、実際に活動に関わった方の話を聞くと、当時の激しさや悲惨さが俄かにイメージされました。
堺市職労の支援活動拠点となった香櫨園小学校の体育館には創立時からの卒業生の名前が年度ごとにプレートにされ壁に掛けられていたのですが、平成7年の卒業生のプレートには震災によって犠牲になった当時3年生や5年生の児童の名前もあり、生きていれば僕と同い年なのだと思うとこの20年の時の流れと、今生きている事に対する純粋な感謝の念が沸き上がりました。この20年で世の中も大きく変わりましたが、東日本大震災をはじめ、災害は何時でも起こりうると意識して、大切なものを守るための心構えを作っておく事が大事だと心に刻み込まれました。
(上下水道局維持管理課・池側将司)
20年前、私も香櫨園小学校避難所に市職労ボランティアの一員として参加していました。当時副委員長だった本松さんが「先遣隊」として入って以降、のべ400人を超える組合員が参加しました。
あれから今日まで、さまざまな災害が起こり国民の防災意識も高まっていると思われますが、20年前私たちの身近に起きた出来事やみんなで懸命に行動した経験をその世代の人たちがいま一度想い起こし、若い世代、次の世代に伝えることで、少しでも次の災害への備えや対策、心構えにつながればと考えました。
お忙しいところを取材にご協力いただいた浜脇中学校、香櫨園地区並びに西宮市職労の皆様、寄稿いただいた職員、組合員の皆様に心より感謝します。ありがとうございました。
(組合書記局・丹野優)