あの時の記憶~香櫨園小学校でのボランティア活動
(1月20日付)
震災直後、炊出し用の食材と道具を軽四に詰め込み、西宮市の香櫨園小学校へ向かいました。救援物資を運ぶので「緊」とのステッカーをフロントガラスに貼り走行していたのですが、「緊」の車ばかりで大渋滞していました。
余震も時折起こる中、右には阪神高速の橋桁が傾き、左にはショーウインドウが粉々に割れたカーディーラーの風景は今でも鮮明に覚えています。
避難所となっていた香櫨園小学校では炊出しの他、避難されている方々へ給水のお手伝いを行いました。バケツやタンクを持って来られた方に給水するのですが、高齢者や子どもの分は一緒に運んだりしました。炊出しは寒い時だったのでカレーや豚汁を用意し、温かいものが大変喜ばれました。
私たちに何か出来る事はないかと、多くの組合員が結集し、香櫨園へのボランティア活動が行われました。
当時、多くの大学生達を始めとする若者も参加しており、中にはリュック一つで遠方から駆けつけた若者もいました。
阪神大震災から20年。犠牲になられた方々のご冥福を改めてお祈りすると共に、厳しい環境の中で培われた人とひととの絆、ぬくもりは貴重な体験として今でも心の中にあります。