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ワンコインの名作 大江健三郎『ヒロシマ・ノート』

7月7日付

われわれの誰の内部で、広島的なるものがすっかり完結してしまうだろう?

 大江健三郎は、一九六三(昭和三十八)年、広島で開かれた第九回原水爆禁止世界大会を取材した。前年のキューバ危機から一転し、核軍縮に向けた合意が形成されつつある国際情勢だったが、原水禁運動は激しい内部対立の結果、分裂しようとしていた。大江は、大会における混乱の様子を間近で観察するとともに、原爆病院のような政治闘争とは離れたところで「真に広島的な人間たち」を見出した。以降、広島を繰り返し訪問し、見聞を通した作家の思索を記録したものが『ヒロシマ・ノート』である。
 執筆時、大江は二十八から三十歳。大学在学中に小説家としてデビューし、若くして文学の旗手と目された彼は、自分自身の感覚や思想を「広島のヤスリにかけ、広島のレンズをとおして再検討」しようとする。原爆症に苦しみながらも平和を希求する患者、出産後に急性白血病を発症し、命を落とした若い母親、白血病に侵されながらも地道に働き生きようとした青年とその婚約者、自らも被爆しながら治療と調査を続ける医師、原爆白書運動に取り組む新聞記者など、様々な人間と出会いあるいは話を聞き、彼ら忍耐し続ける人々に人間のモラルや威厳を見る。
 広島には「人間の恢復の希望と腐敗の危険」の二つの萌芽があると大江は書く。原爆投下から二十年足らずにして、この人類が経験した悲惨が風化されようとする空気もあった。冒頭の問いかけはもちろん反語で、広島を記憶し内面化することが核戦争の脅威のもとで生きる日本人に必要な作業であった。まもなく原爆投下から八十年を迎え、本書の刊行からも六十年が経つが、果たして内なる広島は完結したといえるだろうか。
(『ヒロシマ・ノート』岩波新書