堺市職労(堺市職員労働組合)ブログ

堺市職労(堺市職員労働組合)ブログです。

労働組合たんけん隊 2024 に参加して② 仕事とケアを考える ケアする・される関係 大切では?

8月21日付

既報(7月31日付け)のオンライン学習講座第5講義のテーマの一つは、「ケア」でした。
 日々の活動において、ケアを実践する場として、仲間の状態に関心をもち、「困っていることは?」と耳を傾けようとする姿勢をもとうというのが、一番のポイントでした。
 そもそもケア(Care)とは何か。英訳の気にする、心配する、世話するから、いたわる、気にかける、名を呼ぶ、応答する、かかわる、ねぎらう、手間をかける、気づかう、助ける、世話をやく、寄り添う…。つまり、傷んだこと、困っていることに関心を寄せ、耳を傾け、修復の実践をし、ともによりよく生きようとする営みといった人間観だと提示がありました。
 私たちが毎日働けるのは、家庭でケア=(食事、洗濯、掃除、お風呂…といった家事)されている(している)からと言われると、イメージが湧くかもしれません。
 講義では、ケア関係のなかで「自分がどんな存在であれ大切にしてくれる重要な他者がいるという気づきが、人格を形づくっていく」ということや、「誰もがケアされる/ケアする人びとであるという人間観~誰もがケアなしには自立しているかのように生きられない。相互依存の存在。環境や地球に対しても相互依存している」ということが触れられました。
 ここからが、労働組合講座ならではです。ケアと資本主義として、「資本主義はケアを評価できない」「自立、自己責任を押し付けてくる」「資本主義では、何かいいものを開発したり、会社に多くの利潤をもたらしたり、たくさん働いてくれる労働者には、評価のものさしが明確。でも、ケアという、それとは違う価値をふくんでいるものには冷淡であり、副次的な扱い」と評しました。
 まさに今年の人事院勧告からもそのことが感じ取れました。勤勉手当の成績率上限を引き上げ、平均支給月数の3倍に設定できるようにするというものです。一人ひとりが組織における役割と責任を果たしつつも、ケアされ、ケアし、相互依存のなかで、係や課全体として、仕事を遂行しているというのが実状ではないでしょうか。ましてや、電話や窓口など、職場で起こってくることに一人で対応できる人がいるのでしょうか。果たして私たちは3倍もの格差をつけられるような仕事の仕方をしているのでしょうか。それを、3倍の差をつければ、職場全体のパフォーマンスが向上するのでしょうか。
 全体として、労働者への分配が減り、人も削られ、そこに競争による格差拡大が持ち込まれ、単純に批判するだけでは支持を得にくい状況にもあります。「競争やめたら学力世界一」というフィンランドの実践もあり、事実と議論を通じて乗り越えたいと思います。