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堺ふしぎ発見(3)ザビエル公園

12月22日付

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出典:飯盛山城と三好長慶 戎光祥出版

 みなさんは、ザビエル公園の藤棚に建つ記念碑をお読みになったことはありますか?「海に開かれた中世堺」と題するもので、ザビエル公園内に中世の海岸線があり、それを石を並べて表現しているそうです。そう思って園内を見ると、目の前には南蛮船遊具、そして護岸を模した階段があり、深く考えられて造られた公園だと分かりました。
 ところで公園の由来になったフランシスコ・ザビエルはなぜ堺に来たのでしょうか?
 1549年に薩摩に上陸したザビエルは付近で布教をし、その後平戸へ。50年10月、京の都の帝に布教許可を得ようと京へ出発。京への道中、山口を経て堺に上陸したのでした。
 地図を見ると、当時は海岸線が今より内陸にあり、堺、住吉、天王寺、大坂(本願寺)が上町台地沿いに並んでいたこと、台地西側は低湿地、東側は大和川やその支流があり、河内国の城は山沿いの街道近くにあることが分かります。ザビエルが堺に上陸したのは必然と言えそうです。
 ザビエルを堺で迎えたのは日比屋了慶という豪商でした。
 しかし苦労してたどり着いたものの、ザビエルの京滞在はわずか11日。当時の京は乱により荒れ果て、将軍足利義輝も郊外に逃れていたためです。
 ザビエルは山口に戻り、その後平戸、豊後からインドに戻り、中国での布教を目指しましたが、52年12月に広東・上川島にて46歳で亡くなったのでした。
 日本に初めてキリスト教を伝えたザビエル。ザビエル公園で足跡を感じることができたのでした。